弥生時代最先端のガラス工房跡【須玖五反田遺跡】
先日、福岡県春日市の春日大通りから住宅街へ一歩入ったところを駆け抜けていたら、

おもむろにこんな案内板が立っているのを見つけたんです。人通りも多くなさそうなこんな場所に!!いったいなぜなんですか!?なにが起こってるんですか!!

さっそくそばへ寄って読んでみると、

案内板にはこう記されていました。↓
ここは諸岡川北岸の少し高まった地形上に広がる弥生時代の遺跡。中期前半(2100年前)の墓地や後期後半(1800年前)につくられた集落の跡などが確認されています。この中の竪穴住居跡とその周辺からガラス勾玉の鋳型をはじめ、製作中に破損したガラス勾玉、溶けたガラスが付着した容器、玉を磨いた砥石など、ガラス製品の生産に関わりのある多数の遺物が出土。このことから、ここがガラス勾玉を作る工房として利用されていたことが分かります
続きます。↓
このほか青銅器の鋳型の破片や溶かした銅のカスも出土。ガラス製品の生産と青銅器生産に深い結びつきがあった様子がうかがえます
もう少し続きます。↓
須玖五反田遺跡を含む須玖遺跡群が奴国の中心地とされた大きな理由の一つが、当時の先端技術が集結していることにあります。このガラス工房跡をはじめ、周辺には青銅器生産に関係する遺跡が多く見られ、この地一帯が青銅器生産の一大拠点であったことが判明しています
とのこと。以前訪ねた春日市『奴国の丘資料館』の館内展示でも、須玖地区界隈がかつて最先端技術の場であったというお話がありました。↓
こちらはガラス工房の空中写真とガラス工房の模式図。はっきりいってさっぱり分かりません。↓

それから遺構配置図と勾玉の鋳型。2.5cmを3個続けて作るんだから、細かな作業が必要ですよね。流し込む!?だけでも大変そう。↓

ちなみに勾玉というのはwikipediaから参照しますと↓
先史・古代の日本における装身具の一つ。 祭祀にも用いられたと言われるが、詳細は分からない。 語源は「曲っている玉」から来ているという説が有力。 語の初出は『記紀』で、『古事記』には「曲玉」、『日本書紀』には「勾玉」の表記が見られる
とのこと。曲がっている玉はいいんだけど、どうして曲げたんだろう。勾玉に対して、まが(げ)ない玉もあったのだろうか。あ、曲がってないなら、ただの玉か。

そんなことより見てください。左の川沿いに見えるのが春日北小学校で、その手前を流れるのが諸岡川である。完。
【須玖五反田遺跡】
福岡県春日市須玖北4丁目76
