奴国王墓の跡地は想像力が試される【春日熊野神社】
前回の続きです。↓
前回はといいますと、福岡県春日市にある【奴国の丘歴史公園】を存分に満喫しました。
今回はその勢いのまま、公園そばに鎮座する【春日熊野神社】を訪ねてみたいと思います。↓
この辺りは小高い丘の上にあるから【奴国の丘】という名前がついているのでしょうけど、実際は丘じゃなくて「岡本山」という35メートルの低山みたい。
その丘というか山から少しだけ下ってみると、あっという間に【春日熊野神社】に到着です。↓
ちなみにここからさらに下っていくと、↓
その先には『奴国王墓の跡』や『奴国の王族の墓の跡』がありますよ。↓
さて【春日熊野神社】のご祭神は「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」。
そばに案内板がありましたので、読んでみると↓
江戸時代に近くの畑で銅矛の鋳型が発見され、熊野神社の宝物として大切にされてきました。この近辺では他にも多くの青銅器が発見されています
この地区一帯は【須玖岡本遺跡】とよばれていて↓
明治32年の奴国王墓の発見以降、たびたび調査がなされ、王墓のほか王族の墓も見つかっています
とのこと。境内には
社殿があって↓
古い扁額。↓
もう一つ案内板がありましたのでチェックします。↓
須玖岡本遺跡は弥生時代中頃の極めて有力な集団の墓地と考えられ、大石下の甕棺墓は奴国の王墓に推定されています。
また、出土した多量の青銅器鋳型から、この周辺が文化の中心として弥生時代に栄えたことを物語っています
だそう。
神社の創建は宝徳年間(1449~1451)。
こちらにも鳥居があって↓
そこからまっすぐのびる参道の先には『春日北小学校』がある。
下っていくついでに、まず『王墓の跡』へ寄ってみます。
神社を背に住宅地を進むと↓
『王墓の跡』で↓
そのすぐそばには『王族の墓の跡』もありました。↓
さらにここから県道49号の通りを渡ると『春日北小学校』の校門に辿り着くわけですが、ここにも案内板があって↓
さっそく読んでみると↓
この周辺は当時の最先端技術であった青銅器やガラス製品の工房が集中し、国内最大の工房群を形成していました。
奴国でもっとも生産された銅矛は広い範囲に流通していて当時の奴国の勢力の大きさを物語っています
つまり、【須玖岡本遺跡】はかつて、最先端の未来がつまっていた場所だったということ。やるう。完。
【春日熊野神社】
福岡県春日市岡本2-92