名島城を探してみたけど 3/4【名島城址公園】
前回の続きです。こんにちは。↓
前回はといいますと、福岡市東区の名島地区に鎮座する【名島神社】を訪ね、その神社境内にある【名島城址公園】の入り口前でアンニュイな感じに微睡んでいたのであった。
では今回も続きます。↓
公園入り口前の階段をスタスタのぼるとその先にゲートがあって、そこには「開園時間は4月~9月が9:00~19:00で10月~3月が9:00~17:00」との記載があったけど、皆さまが訪れる際には、いまいちどご確認してみて下さい。
さてゲートを抜ければ【名島城址公園】に到着。それはつまり【名島城本丸跡】に到着ということでもある。ちなみにこちらの公園は2012年4月の開園だそうで↓
園内はこんな雰囲気。↓
園の端に『名島城跡の碑』があって↓
さらに『小早川隆景公名島城入府四百年記念の碑』も立っていました。↓
『臥龍桜』、それから↓
こっちは『不断梅』というんだそう。↓
園の奥には休憩所があって、そこには名島地区の案内パネルが色々と貼ってありました。↓
かつてここ【名島城】は、三方(北・西・南)を海に囲まれた「水城」であったといわれています。
その位置関係を現在の地図と照らし合わせてみるとこんな具合!?え!?
(名島神社HPを参照させていただきました。)
最終的に【名島城】は黒田長政の福岡城築城により廃城になったわけですが、その福岡城築城の際に【名島城】の石垣など多くが解体されて福岡城へと運び出されたといいます。
この出来事を『名島引け』というんだそうで、名島城廃城にあたって多くのものが消失したけれど、現在でもなお残っている遺構もある。例えば「福岡城内」に残る『名島門』や↓
「崇徳寺」にある『唐門』、そして「宗生寺」の『搦手門』。さらに↓
「正定寺」には【名島城】の『書院(切腹の間)』が残っているとききました。↓
では再び園内に戻ります。北西奥には【隅櫓跡】があって↓
そこには礎石が残っており、瓦片も多くみつかったらしい。↓
また『大手虎口の石垣』の案内板を読んでみると、「石垣のある辺りが登城口で、そのための階段がかつてここにあったよ」的なことが書いてありました。↓
ゲートは残念ながら鍵がかかっていたけれど↓
別の角度から鋭い眼差しでのぞいてみる私。↓
説明から推測するに、この道がお城への正規ルートということらしいんで、せっかくですし辿ってみることにします。↓
大手門もこの辺りにあったということでしょう。↓
ここにも説明書きがあって↓
古地図も一緒に掲載してありました。現在地はこんな具合。↓
そのまま進むと急な下り坂になっていて↓
下りた先にはこんな案内板が。どうやらここは『城山道』というらしく「名島城の本丸があった」との記載。
わりと急だから、登城するのもひと苦労だったことでしょう。毎日だと辛いね。↓
そんなこんなで本丸辺りを徘徊しているうちに、なんとなくだけど【名島城】の輪郭が掴めてきたような気がします。いやそれもまた幻なのかな。
次回は「会いたくて南丸/秋」。名島城の散策もいよいよ終盤です。続きはこちら!↓
【名島城址公園】
福岡市東区名島1丁目15