水城ゆめ広場にあなたは来ない02【水城07】

前回の続きです。↓

前回、福岡県大野城市にある【水城ゆめ広場】を訪ねました。そして広場向かいにある丘の上の公園へと趣き、東へとのびる『水城跡』の土塁の姿を公園内からうっとり眺めたのでした。

今回はといいますと、

【水城ゆめ広場】の森の中へと入りこみ、『水城跡』の土塁(大堤)の西端がどうなっているか見てやろうと思います。↓

広場に入ると休憩所があって、休憩所には水城跡の写真が貼り付けられています。↓

写真には『水城跡』の西の端がしっかりと記してあるわけですが、↓

その写真によると、広場入り口辺りはもう『水城跡』ではないっぽいんです。休憩所よりもずっと手前(東側)のところで水城(跡)は終わっているみたい。↓

また、この写真でもう一つ気になったのが、こちらの土器っていうかお皿の姿。↓

まるで有名人のサインみたいに「水城」と記してあって、観光土産のような微妙なルックス。この感じ!ぐっとくる!!お土産で売ってたら買いたい!!

言いたいことは全部言えましたので、そろそろ出発したいと思います。

 

広場内にのびる遊歩道はきれいに整備してあり、さながらピクニック気分。スキップが止まらない!

先へ進むと案内板があって↓

読んでみると、そこには西側丘陵のあれこれが書いてありました。↓

水城は東側に四王寺山、西側に背振山系からのびる丘陵がつながり、土塁と濠そして自然が一体となって防衛線を形成していました。新池周辺は貴重な里山として親しまれ、昭和の初めには『思水園』という庭園が開かれました

こちらは地図。↓

ゆるやかなアップダウンが少しあって↓

唐突な分かれ道が私を惑わす。左へ行くと「思水園」らしく↓

そこはのちほど訪ねてみたい。まずは右から攻めていきます。↓

右へ道なりに歩いていくと↓

「水城の自然地形利用」という説明板があるので↓

読んでみると↓

水城の名は、水を貯えた濠と土塁に由来します。自然丘陵が平野に突出しているこの辺りを選び、土塁を丘陵に取り付けています。前面の谷を調査したところ、2m以上深いところに谷底があり、そこに水が集まっていました。水の流れを計算して、内濠に水を導いていたというわけです

その図。↓

隣りにはこんな案内も。↓

 

『水城院跡』。なにそれ!?!!

怪しい雰囲気を醸し出す謎の院。いいんですか!!院です!ということで、訪ねてみたお話は次回に。↓

(※さらに時を経て再訪問したお話はこちらでも!是非!↓)


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【水城ゆめ広場】

福岡県大野城市下大利5丁目12