匂わせてるけど気づかれない系【上大利老松神社02/02】

前回の続きです。(→通りの角には注意が必要【上大利老松神社01/02】

前回、私は『三兼池公園』で黄昏れていたんです。と思ったら↓

いつのまにか【上大利老松神社】で佇んでいたのであった。では続きます。↓

福岡県大野城市に鎮座する【上大利老松神社】の境内奥には、なにかしらのなにかがありましたので↓

近寄ってみることにしました。↓

そばに説明書きがありましたので↓

まずは読んでみますね。↓

右側の石は中央部分が大きく彫られていて、手水鉢と考えられています。時代は不明。本堂寺から持ち込まれたと伝えられています。

その本堂寺というのは↓

ここから南側400mの場所と考えられていて、その付近では寺院跡とお堂跡が見つかっています。

とのこと。



地図にその場所が記されていて↓

三兼池の向こう側だから、多分あっちのほうだと思う!?どうですか?違いますか。

さて、説明書きに戻ります。↓

石の表面の小さな穴は盃状穴とよばれ、再生や不滅のシンボルとして信仰されています。

これは右側の石のお話。さらに左側の石の説明書きもあって↓

左側の石は水城跡や大野城跡に近いころの古代城門の門礎(唐居敷)で、柱を掘って埋める堀立柱型式の門と確認されています。

また↓

礎石は神社からおよそ700m離れた水城西門跡か上大利小水城跡のどちらかから運ばれたと考えられます。

こちらが水城西門跡で(→ついに西門を通る日がきた01/02【水城06】)↓

こっちが上大利水城跡。(→小水城ゆめあかり広場へ行ってパン【水城01】)↓

ところで!なんだけど!なんですけども!どうして門礎がこの地へ運ばれたのか!!

そこが一番気になるとこじゃん!?じゃじゃん!?完。


【上大利老松神社】

福岡県大野城市上大利2丁目1-1