風吹けば ただそれだけで【笠抜橋】

先日、御笠川沿いの「すこやかウォーキングコース」をブイブイいわせて歩いていたら、ふと見た橋の名前に引っかかりを覚えたんです。↓

橋の名は【笠抜橋】。どうです皆さん?そうそう、ご名答。誰もが『御笠の森』を思い浮かべたことでしょう。

ずいぶん昔のことだけど、福岡県大野城市の山田地区に『御笠の森』(↓)を訪ねたことがあるわけですが↓

だがしかし、もう記憶は霧の中。『御笠の森』とはいったいなんぞやと。なんだったっけ。今回あらためて『御笠の森』を訪ねてみようと思います。↓

 

福岡方面から太宰府方面へ福岡日田線を進み↓

春町東の交差点から左折して、飯塚大野城線を御笠川へと向かいます。↓

すると通りの右手に小さな森が見えてくる。こちらが、ザ『御笠の森』。↓

お久しぶり!

入り口すぐそばに説明書きがありましたので↓

復習も兼ねて、ざっくり読んでみます。↓

「日本書紀」によると、神功皇后は福岡県甘木市秋月の豪族である羽白熊鷲を従わせるため、橿日宮(福岡市東区香椎)から松峡宮(朝倉郡筑前町)へ向かう途中に、つむじ風で笠が吹き飛んだのでした

そしてその場所を「御笠」と名づけたのでした。で、続きます。↓

「筑前国続風土記」によると、笠が引っかかったのが、ここ『御笠の森』

説明書きの左には「笠が飛んだ話」も記されているので↓

続けて参照です。↓

笠が抜げたところは「笠抜ぎ」という地名がつきました。笠は飛びに飛んで1キロ北へ。山田村の森の樟の梢に引っかかったのでした

しかし笠はなかなか落ちてこないので↓

舞を奉納したところ、舞い降りてきました。村人はその地を「舞田」と呼んだのであった

とのこと。ざっとまとめてみますね。↓

御笠川辺りで風に舞った神功皇后の笠が、飛びに飛んでここ『御笠の森』の木に引っ掛かったということ。そし引っかかったこの地は「舞田」とも呼ばれたのであるってこと。

でね、でねでね。かつて笠が飛んだその道筋を、辿ってみたくないですか。みたいです!分かりました。行きましょう。↓

飯塚大野城線をそのまま北東へ進むと、西鉄自動車学校があって↓

さらにその先に流れるのが御笠川。↓

振り返るとこんな景色。もう『御笠の森』は視界の外。↓

そしてこちらの橋が【笠抜橋】かっていうと、そう上手くはいかないのであった。↓

これは「御笠の森大橋」。ここから右へと曲がり、川に沿って東へ進んでいきます。↓

すると散策路に説明書きがって↓

地図もある。↓

昔の御笠の森の姿。↓

読んでみるとこんな具合。↓

御笠の森はここから約500m。ここから約800m上流には【笠抜橋】があります

まだまだ先のようですね。御笠川に架かるこっちの橋は↓

「山田橋」で↓

さらに次にあらわれる橋は↓

「御笠橋」。↓

そしてようやくこの先に見えているのが↓

【笠抜橋】です。↓

ここで笠が飛んだという確実なお話はない(多分)んだけど↓

まあ、そういう名前もついているということで↓

なんとなく辿り着いてみたというわけです。この日は風が強かったんだけど↓

帽子も笠もかぶっていなかったのでセーフ。

【御笠の森】

福岡県大野城市山田2丁目4