ようは花曇りって言いたいだけじゃん【大楠天満宮】
先日、福岡市南区の大楠地区をまったり駆け抜けていたら
「高宮中学校」と「福岡大学高宮グラウンド」に挟まれた通りが、桜のピンクできれいだったんです。その風景になんだかぐっときて↓
いいじゃんいいじゃんとか言って、同じような写真を100万枚くらい撮ってたら、突然雨が降り出したのでした。↓
慌てて角を曲がると、そこは「福岡赤十字病院」と「大楠小学校」に挟まれた通りで↓
ここもやっぱり桜のピンクがきれいで。↓
この雨で桜散っちゃうかもじゃん!と思うとなんだか惜しい気がしたので、ここでも500万枚くらい同じような写真を撮ってたら↓
ちょうどすぐそばが大楠小学校の正門でしたので、礼儀正しくそばへ近づいてみました。↓
すると、そこにはなにかしらの説明書きがありましたので↓
まずは読んでみたいと思います。↓
昭和初期、那珂川がたびたび氾濫するので、治水のため若久大木放水路を掘った。今の若久川である
そして↓
その工事で、樹齢2000年、囲りが10mほどの楠の大木がいくつも掘り出されました。楠で作られた衝立は住吉神社に奉納されました。社務所玄関に立てられています。土地の歴史を伝える謂れの深い樹木である
また↓
このことから校名「大楠」がつけられました。正門の両端に大きく聳える楠はみんなのシンボル、みんなの成長を見守っている
とのこと。
ここでいう「みんな」とは、もちろん大楠小学校の生徒のみんなのこと。残念ながら「みんな」の中に私は入っていないのだ。当然!!↓
こちらが正門の楠。↓
その後もなんとなく雨をやり過ごしていたら、すっかり天気になったのでそのまま日赤通りへ出て、少し辺りをぶらぶら散策してみました。↓
すると、通り沿いにある駐車場の奥のところに桜の樹がちらちら見えていて↓
なんだか呼ばれてる気がしたので、駐車場裏に廻って近くへ寄ってみることに。↓
すると路地の奥のところに神社が鎮座。こちらは【大楠天満宮】。↓
せっかくですのでお邪魔したいと思います。↓
立派な石が置かれていて↓
こちらはなんだろう。猿田彦!?↓
そして土俵のようなフォルム!?↓
境内に由来書きがありましたので↓
読んでみると、こうありました。↓
菅原道真公は、藤原時平の悪巧によって太宰権師に左遷されてしまいました。二月に京を出て、三月に博多袖の湊(現在の呉服町あたり)に入りました
(※博多袖の湊に関する記事はこちらで!↓)
さて由来書きは続きます。↓
袖の湊に入ったあと、入り江深くにある四十川口(現在の薬院あたり)に上陸し、博多の景色を眺めるために平尾の高台(現在の平尾天満宮)へ向かったのでした
(※平尾天満宮(平尾八幡宮の左奥)を訪ねた記事はこちら!↓)
由来書きはもう少しだけ続きます。
そしてこの地の大楠の下で暖をとり暫し休息し、榎寺へ向かったのでした
(※榎寺を訪ねた記事はこちら!↓)
そうです。なんと道真公はここ大楠の地にもやってきていたんですね!!そういったわけで↓
道真公ゆかりの地として大楠天満宮が建立されました
とのこと。
ほら桜がきれい。↓
狛犬。↓
そして社殿。↓
そのまま桜に誘われて、境内からさらに路地を突き抜けると
つまり↓
これが若久川!?おわり。
(※のちに若久川を辿ったお話はこちらで!↓)
【大楠天満宮】
福岡市南区大楠1丁目30-9