唐津街道(一部)を辿ってみた04【色姫の墓】

前回の続きです。↓

前回、唐津街道巡りの(今回の)スタート地点である【青柳宿】に別れを告げ、

そのすぐそばに鎮座する『五所八幡宮』を参拝したのでした。鎮守の珍樹の森!!

それでは今回も引き続き、はりきって唐津街道を辿っていきたいと思います。

504号沿いへ戻ると↓

通りの向かいに「長泉寺」そして

「青柳地蔵堂」がお出迎え。↓

それから「青柳バス停」も。↓

さらに少し先には「札所」と「藤原宮」があって、↓

最後のトドメは【色姫の墓】!!

 

色姫?なんすかそれ。とっても気になります。↓

そこで、矢印に導かれるがまま、色姫目指して向かってみることにしました。↓

真っ直ぐ進むと再び矢印があって、50メートル左へ進みたまえと言っている。↓

だから進みますよ進んだけれども!!

ここはものすごーーく、プライベート感がある。

誰か住民のかたにばったり出会ってしまったら、笑顔ではっきり大声でこんにちはと言おう。そんな想いが交錯する午後の出来事。

挨拶の練習をしながら先へ進んでいきます。

 

でも、これだいじょうぶそ!?間違ってたらどうなります!?不法侵入罪!?逮捕!?独房!?ここで一度ちょっとシミュレーションしておきたい。

住人の方が不審者(私)に驚く→警察がやってくる→村の大物がやってくる→国の大物がやってくる→世界の大物がやってくる。

つまり、いっぱい色んな人がやってくる!!とかビビっていたら、案内板を発見。良かった!!感動!!↓

では落ち着いて読んでみたいと思います。↓

色姫(伊呂姫)の墓。「當院開基竹龍妙渭大姉、天正十二年甲申三月二十四日、三普字珪?建之」など銘がある石塔が色姫(伊呂姫)の墓。大友と毛利の合戦で、毛利方についた宗像氏貞が敗れた際、妹色姫は人質として立花家に送られ、立花道雪の側室に。色姫25歳道雪57歳

続きます。↓

色姫は38歳で自ら命を絶ちますが、三月二十四日、この日は奇しくも宗像市の家督争いの中で斬殺された腹違いの姉菊姫の祥月命日(一年に一回ある命日と同じ月日のこと)でもあった。竹龍院は色姫の開基の寺院で、その竹龍が色姫の追号となった

いまいち良く分からないので詳細が知りたい。そこで、wikipedia「宗像色姫」から参照したいと思います。↓

色姫の兄鍋寿丸VS色姫の母違いの姉菊姫の夫宗像氏男(故)の弟である千代松。これが家督争い。結果、色姫の兄鍋寿丸が勝利し、異母姉菊姫とその母山田夫人は斬殺されました。これが山田事件。この時色姫12歳。奇行が見られたという記録もあるらしい。のち立花道雪の側室に。平時は青柳村で暮らしました。さらにのちのこと。宗像と立花との間で、小金原の戦いが勃発。これは襲撃事件に端を発し、そこに領土を追われた者らが加わった事件である。その事件の3年後、色姫は亡くなるのでした

その色姫が亡くなった日と、かつて菊姫が斬殺された日とが偶然にも!?同じであったというお話。

さて案内板そばの小道をさらに進むと、あらまあきれい。↓

とても丁寧にお世話されていました。ではそろそろ失礼して。↓

どうもお邪魔しました。ありがとうございました。という気持ちを込めて

ちゃんと侍のように会釈をしましたから。だからみんなもう集まらないで欲しい!!頼む。逮捕禁止!

お話は次回に続きます。よろしくお願いします。↓


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【色姫の墓】

福岡県古賀市青柳2202