肝心のところで繋がらない想像の世界【那珂引込線01】
先日、筑紫通りを博多方面へ駆け抜けていたら、↓
通りに面した小路の脇に、案内板が立っているのを見つけたのでした。こんにちは。
さっそく近くへ寄って読んでみると、↓
那珂ふれあいの散歩道。那珂緑道は、竹下駅から福岡空港までのかつての物資運搬列車の引込線を、植樹帯やパーゴラを配置した歩行者と自転車が通行できる緑道(長さ約490m)として、昭和52年に整備したもの
続きます。↓
地域の散歩道として、憩いの場として親しまれています。健康増進とふれあいに役立ててもらうため、健康さわやかロードと設定。100mごとに距離表示板を設置しています
とのこと。いくつか分からない言葉が出てきました。パーゴラ!?引込線!?えなになに。
まず「パーゴラ」についてネットで調べてみると↓
住宅の軒先や庭に設ける、つる性の植物を絡ませる木材などで組んだ棚。日陰棚、つる棚、緑廊のこと。日本では藤棚が一般的である。建築用語のひとつ
とありました。あー言われてみたら分かるかも。あれねあれあれ。
そしてお次は引込線について。wikipedia「引き込み線」で調べてみると↓
鉄道などで、本線から分岐して保線車両用を含む車両基地や、工場などに引き込まれた専用の線路
なんだそうです。つまり、かつてJR竹下駅と福岡(板付)空港の間には専用の線路がつながっていて、のちにそれが廃線になってからは(昭和52年以降)、遊歩道として整備されているんだよ!?ということみたい。
ん!?あれ!?そういえば!福岡市東区の名島の町にも、
かつての引込線を冠した「引き込み線通り」が、西鉄貝塚線の名島駅へ向かって静かにのびていました。
それはさておき、「JR竹下駅」についてもwikipediaでチェックしておきますと、↓
駅北側には、アサヒビール博多工場・アサヒビール園博多店。かつては当駅と工場を結ぶ専用線があったが、現在はトラック輸送に転換され消滅した
(アサヒビール工場周辺をうろついたお話はこちらで!↓)
それから、↓
国際線ターミナルビルは駅から北東約2.5km。福岡空港(板付基地)に米空軍が常駐していた頃には、当駅と基地を結ぶ専用線があった
とありました。(以前に福岡空港国際線界隈をうろついたお話はこちらで!↓)
今回は空港まで続く引込線なので、アサヒビール工場ではなく米空軍(板付基地)のお話になりますよね。
wikipedia「福岡空港」の項によれば↓
1945年(昭和20年)10月 – アメリカ軍が板付基地として接収
とありました。
それではいざ、JR竹下駅へと向かう散策路を歩いてみたいと思います。
ちなみに、通りを越えたあっち側は、空港方面へのびる廃線跡(多分)。(次回訪ねます)
静かな小路を先へ進んでいきます。結構細長い散歩道。かつての引込線の面影は探して見たけれど良く分かりませんでした。40年以上前のことですし。↓
散歩道は途中で分断されたりもしつつ、↓
最後には「博多駅南2382号線」という、やや大きめの通りと合流することで、490mの旅路は終了となります。わりとあっさり。
あれ?はて?引込線は竹下駅まで続く筈なんですけど!?これから私はどうすればいいんですか。この先、引込線はいったいどんな道筋を描いていたのか。
例えば、目の前に見える沖学園の敷地、ここを真っ直ぐ貫いていたのだろうか。(沖学園は1959年開校)↓
はたまた左に見えるアサヒビール工場(1921年創業)の敷地をぶち抜いていたのか。
とにかくどちらへも立ち入ることが出来ませんので、その2ヶ所間をのびるこちらの道を進んでいくことにします。↓
しばらくすると、竹下通りと交わる交差点があって、
そこを左へ曲がるとJR竹下駅北口へ向かうことになります。
しかし今回は、曲がらずにそのまま真っ直ぐ進み続ける。すると、↓
わりとすぐのところで、竹下駅からのびる線路へ辿り着くことができました。この辺りから空港へ向けてかつての引込線はのびていたのでしょうか。
もしくは、もちっと駅寄りまで線路はのびていたのかもしれません。さて、
こうして引込線の一部を歩いてきたわけですが、じゃあ逆向きはどうなんですかと。あなたは問うに違いない。
散策路の反対側、つまり空港へとのびる引込線はどうなっているのか。
さっそく辿ってみたいと思います。でも検証はしていませんので、全然違うかもしれません。ただ道なりに歩いていくので、雰囲気を楽しんでいただきたい。
というわけで、お話の続きは次回になります。
よろしくお願いします。
【那珂ふれあいの散歩道】
福岡市博多区博多駅南6丁目3-6