古墳は遥かなる時を超えて今【那珂八幡古墳】
福岡市博多区にある『JR竹下駅』西口すぐそばには、「那珂川」がたゆたゆと流れており、その西口の反対側には東口があって、
そこから東方向へとのびる「竹下駅前線」の通りをそのまんま東へ歩いていくと、
左手に小さな森が見えてきます。森というより丘かなと思ったら、どうやら小山らしい。↓
この山頂に鎮座するのが、今回の目的地【那珂八幡宮】。↓
ちなみに、通りをこのままさらに進めば「御笠川」が流れています。
つまり、ここは「那珂川」と「御笠川」という2つの大きな川に挟まれている、そんな場所。
通りに面したところに参道があって、そこから鳥居をくぐると急な階段が続きます。↓
鳥居手前に由緒書きがありましたので↓
まずは読んでみたいと思います。↓
ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「玉依姫尊」。神社の西麓には元宮があるけれど、もともとのはじまりは不詳
また、昭和53年にこの地で調査があったそうで↓
全長75m、後円部直径約47m、4世紀後半に築かれた九州最古の前方後円墳の、その墳頂にあることが確認されました
つまり、神社を調査していたら、なんと神社は古墳の上に鎮座していましたよ、ということみたい。続きます。↓
福岡平野最大級の古墳の主体部は、社殿下にあるため不明です。ですが、社殿北から出土した木棺墓から、青銅製の三角縁神獣鏡などが発掘されました。弥生時代のものや鎌倉時代のものも出土しました
隣りにさらにもう一つ案内板があって、
こちらは『史跡 那珂八幡古墳』についての記述。
読んでみると↓
那珂から比恵にかけて広大な台地上にあって、福岡平野の前方後円墳の中ではもっとも古いです
その大きさは↓
推定全長85m。後円部の直径約50m。後円部の高さ15m
そして↓
埋葬施設は割竹形木棺。そこから出土した三角縁神獣鏡から、福岡平野最古の首長墓(4世紀)と考えられます
とのこと。
ここは小さな山の山頂。辺りは静かで誰もいません。
拝殿内には↓
奉納絵馬がたくさん。カラフル。↓
そして社殿下には、後円部の埋葬施設の1つが今でも未発掘のまま。
猫がじっと私を見つめている。緊張感。
ところで、なんですけど。古墳の上に神社というのが、良く分からないんです。
古墳は4世紀後半の築造とされていて、神社は八幡信仰から推測して、8世紀後半くらいの建立とのこと。
遥かなる時を越えて同じ場所に。
知っててあえて、この地にあとから鎮座しているパターンなのか。全く知らずに偶然です!?のパターンなのか。
はたまた、こういうのはごく当たり前パターンなのか、もしくは禁断のタブーパターンなのか。どういうことなんだろう。
社殿の反対側には↓
境内社。こちらは伝説の男「武内宿祢」を祀った『武内神社』。↓
(※竹内宿祢のお話はこちらでも!↓)
っていう、そんなお話でした。終わり。(※後日、竹下地区を歩きまわったお話はこちらで!↓)
【那珂八幡宮】【那珂八幡古墳】
福岡市博多区那珂1丁目44