長崎街道(一部)を辿ってみた07(終)【山家宿】

前回の続きです。↓

前回、ようやく『山家宿』の東構口へと辿り着きました。

それはつまり『山家宿』の散策はおしまいということで、

ついでに言えば、これまで数回に渡って辿ってきた『長崎街道(一部)一人旅』もおしまい。

『長崎街道』自体はもちろんこの先も続いていき、ここ『山家宿』を出た後は、次の宿場『内野宿』を目指すことになります。

さて今回、『山家宿』を飛び出して、少しだけ『内野宿』方面へ向かってみようと思います。というのも、寄ってみたい場所があるんです。その訪問が済み次第、この一連のシリーズをばっちり〆たいと思います。

 

それでは東構口からスタート。77号を東へ向けて進みます。

JR原田線の線路を渡り↓

山家小学校を通り過ぎたら↓

そのすぐ脇のところで左へ曲がる。↓

あとは真っ直ぐ。ゆるやかな坂道を進んでいくと↓

こちらが【山家宝満宮】。ここに来たかったんです。

振り返るとこんな景色。↓

では境内へ失礼して。↓

『寶満宮』の扁額。↓

参道の階段が真っ直ぐのびていて↓

その手前のところに、いくつかの碑と↓

狛犬。そして↓

説明書きがありましたので↓

読んでみますね。↓

山家岩戸神楽は毎年10月17日、山家宝満宮で奉納されます。昭和時代の復興当時の演目は神供・手草・敷蒔・天神・両刀・榊舞・四神・荒振神・事代の9番でしたが、現在では問答鬼など4つの演目が追加されています

続きます。↓

特色は、筑紫の国号起源を伝える麁猛神(あらくたけきかみ)をモデルにした演目があること。神楽の起源については、元禄6年(1693)にすでに神楽殿が建立されていることから、それよりも古いと考えられます

では階段へ。↓

まるで階段が線路を越えるように作られている。いや、線路が階段をくぐるように敷設されている!?とも言える。↓

離れて見るとこういう具合。↓

電車来るかなって思ったけど↓

結局来ませんでした。来てくれ。頼む!

それでは階段の先へ進みましょう。

上り終えてすぐのところに、先述の『神楽殿』。↓

社殿。↓

狛犬。↓

拝殿内。↓

本殿。↓

境内社。↓

山王神社。↓

由緒書きなど見つかりませんでした。そこで「山家宿案内図」より↓

説明書きを参照します。↓

山家宝満宮。かまど神社を1521年に勧請。毎年10月17日に神楽が奉納される。山家岩戸神楽。神楽殿は福岡藩3代藩主黒田光之が元禄年間に再建。岩戸神楽の命割は18番ある

(※かまど神社を訪ねたお話はこちらで!↓)

さて無事に参拝を終えました。(ここでエンディングの曲が流れる)↓

いよいよ皆さまともお別れです。

(サンバのリズムで一言)読んでくださりありがとうございました。

この続きはまたいつかどこかで。(怒りながら)お会いするまでごきげんよう。

(※初めから繰り返し読みたい方はこちらで!↓)


【山家宝満宮】

福岡県筑紫野市山家2684-1