伝衛門『一度は惚れた女だから』【伊藤伝衛門邸宅跡】

先日、福岡市中央区の天神地区へ寄りましたので、そのついでに、以前から気になっていた場所へ向かってみました。

書籍『古地図で歩く福岡/メイツ出版』を読んでいたら、天神地区に『伊藤伝衛門邸宅跡』があるという記事が載っていたんです。

ちなみに!伊藤伝衛門さんのことは全く知りませんので、それに関してはもうごめんなさいしかないんだけど、邸宅跡があるなら見てみたいじゃないですかぁ。

というわけで、まずは下調べにwikipedia『伊藤伝衛門』を読んでみます。以下参照となります。

筑豊の実業家、炭鉱王。1861年飯塚市生まれ。父・伝六と伊岐須炭坑を開き、拡大。衆議院議員に当選。第十七銀行(福岡銀行前身)取締役になる。炭坑経営を成功させ、筑豊を代表する大炭坑主に。妻の死後、柳原燁子と再婚。親子ほどの歳の差。天神町の別邸を増築。銅で屋根を葺いた豪勢な「銅御殿」。白蓮事件(燁子の駆け落ち)により、61歳の伝右衛門は10年で離婚

波乱万丈。続きます。↓

銅御殿焼失。敷地内に新しい邸を建て直すも以前ほどの規模ではなかった。福岡銀行設立実現。福岡大空襲により天神別邸焼失

とありました。ちなみに太宰府天満宮の二の鳥居は伝衛門による寄進とのこと。

では、その邸宅跡へさっそく向かってみます。

天神橋口の交差点を赤坂方面へ曲がり

そして昭和通りを少し歩いた先の、福岡銀行の裏手。どうやらこの辺りにあるらしいんです。

記事内には場所を示す地図も掲載されていて、それがざっくりこの近辺になっている。だがしかし。

記事に添えられた写真は、レンガの一部がちらっと見えるのみ。しかもそのレンガがアップなので、建物自体がどこにあるのか、ノーヒントなのだ!

 

つまりこれ試されている!?そう思う。でもどんと来いですよ。難易度高いけど、見つけたい。

同じ通りを行ったり来たり。そばの工事現場の人も、本を片手に徘徊しやがってこの野郎、と怪訝に思っている筈、多分。

ついに堪忍袋の緒が切れて、x(旧ツイッター)にpostするかもしれない。それだけは頼む!っつかさぁ。あれ!?あれあれじゃないの。

工事現場の目隠しされている先のところに、レンガの一部が見えているじゃん。あれじゃん。

多分そうきっとそう。そこで、慌ててお兄さんにひと声かけて、写真を撮らせていただきました。

優しい人よありがとう。x(旧ツイッター)にpostしてもいいですよ!やっぱりだめですよ!

(※帰宅してグーグルマップ見たら、ちゃんと載ってました。頼むわ自分)


【伊藤伝衛門邸宅跡】

福岡市中央区天神2丁目14