火の玉を見るたびに世界が号泣【宮添井堰】
映画や小説なんかで、予想外の結末を迎えることをツイストというんだそうです。
ところで先日のこと。川沿いを風のように駆け抜けていたら↓
偶然とある石碑を見つけました。それがこちら。↓
【宮添井堰(みやぞえいぜき)】と書いてあります。ん!?「井堰」ってなに!?調べてみると↓
稲田へ水を引き入れるために、川の水をせき止める取水設備。
とありました。そしてこの【宮添井堰】は
かつて筒井・山田・金隈に水を送る役割でした。
とのこと。↓
場所は福岡県大野城市の御笠川沿いの通りで↓
以前訪れた【御笠の森】のわりと近くでもある。(→1kmは結構な距離あるYO!【御笠の森】)
石碑そばにはかわいい説明書き。さっそく読んでみると↓
そこには悲しいお話が書かれていたのであった。↓
ずっと昔のこと。ここ御笠川は大雨・台風がくるたびにたびたび氾濫していました。
稲田に水を引く堰もすぐに決壊してしまいます。村人は困り果ててしまいました。
そこである時↓
村人たちが村の庄屋と話し合う場が持たれ、そこで誰からともなくこんな話が出てきました。
「言い伝えによると、人柱で井堰を築けば、壊れないらしいですよ!?」
この『人柱』というのは、いけにえのこと、つまり人身御供。
生きた人を水や土に沈めて神に捧げて、工事の完成を祈りましょうというわけです。
そこへ庄屋が、こんなことを言うのでした。↓
「明日、横縞の襟の着物を着てきた人が人柱になるってことにしませんか。」
え待って!?庄屋やば。先に分かっていれば、誰も着てくるわけありません。いやでも。集会に参加しなかった人にとってはかなり不利かも。なるほど。
さて翌日のことです。
話は村人全員に伝わっていたので、誰一人そんな恰好をしている人はいません。
と言いたいところですが、一人当てはまる人物がいたんです。その人物はほっかむりをし、しゃべることもないので誰だか分かりません。
彼はなんの抵抗をすることもなく、人柱として生きたまま堰に埋められたのでした。
そこで誰かが気づくんですね。「庄屋さまがいない!!」
そう。あれは、庄屋自らが覚悟をしての発言だったのでした。
こうして庄屋が人柱として捧げられ、無事に堰は壊れることがなくなりました。
それからちょっとあとのお話。↓
庄屋がいなくなってしばらくすると、井堰周辺では火の玉が見られるようになりました。
悲しく漂う火の玉を見て村人たちは察します。
火の玉イコール庄屋さま。つまり庄屋さまが村をいつも見守ってくれている。これはマジ感動。
村人はみな涙を流して、庄屋さまに感謝したのでした。完。
このお話は『ひんどの人柱と火の玉』という大野城の民話で
「ひんど」というのは、取水設備である「ひんとう」がなまったものではないかと考えられているそうです。
ところでね、村人たちは本当は、最初から庄屋さまだって気付いてたりとかね。そして庄屋さま自身も、みんなが気付いてることに気付いてたとかね。
だったらより悲しいとかね。あるある。いやないか。
【宮添井堰】
福岡県大野城市御笠川1丁目の川沿い