官道というかそれはむしろ感動【寶満宮・八幡宮】
前回の続きです。↓
福岡県太宰府市を訪ね、かつての防衛施設である【水城跡】を辿って↓
西門跡付近を官道跡に沿って歩いていたら↓
通りの先のところに↓
【寶満宮・八幡宮】が鎮座しているのを偶然見つけましたので
訪ねてみたいと思います。↓
入り口には「猿田彦」の碑。↓
向かって右手には「吉松共同利用施設」がありました。
吉松地区のコミュニティセンター的なものでしょう。↓
正面に鳥居。↓
お勉強中にお騒がせしてます。↓
こちらの案内板には吉松地区の史跡が示してあって、とても便利。↓
さて。ここ吉松地区というのはいったいどういう場所なのか。「太宰府市文化ふれあい館」のHPから参照したいと思います。↓
吉松区は太宰府市の西端に位置します。かつて見事な松がたくさんあり、博多湾に入る船はこの松を目当てに入港していました。枝振りの良い松が多かったことから「吉松」という地名がついたと伝えられます
地名は面白いですね。そして↓
現在の吉松区は、吉松村と枝村の園田村(現在は尊田と表記) からなっています。吉松区の氏神である【宝満宮・八幡宮】は、明治初年に吉松村の「宝満宮」に、尊田村の「八幡宮」が合祀されたものといわれています
また
ご祭神は「玉依姫命」。境内末社として「八幡宮( 祭神は応神天皇一座)」 が祀られています。神社境内には他にも若宮の石塔、庚申塔が祀られています
とのこと。では鳥居をくぐって境内へ。↓
「宮ノ森公園」と記してあります。つまり、この森のような公園の中に【宝満宮・八幡宮】が鎮座しているということでしょう。
拝殿。↓
扁額には「寶満宮・八幡宮」。↓
そして本殿。↓
「太宰府市文化財情報」のHP(リンク切れ)によりますと
本殿のこちらは「寶満宮の宮座」とよばれるものだそうで↓↑
宮座とは、まつり座を設けて神を迎え、供物を献じ、祈願・感謝をこめる行事。拝殿にて神事を執り行う。お供えは、野菜(大根、人参、ごぼう、栗、みかん等)と新米を供えている
とありました。また境内を振り返るとこんな具合で↓
社殿の右手には「薬師如来」。↓
そして奥には鎮守の杜。森というか小高い丘といった感じ。せっかくですので上ってみたいと思います。↓
季節がらもあって、虫がすごい。すごいったらすごい。↓
丘の上には「八幡宮遥拝所」。↓
先ほども参照した「太宰府市文化財情報」のHP(リンク切れ)に詳細がありましたので、こちらも参照します。↓
吉松の枝村である園田(尊田)の氏神「八幡宮」が本村の氏神「宝満宮」に合祀された(明治25年頃)ため、跡地である現在の太宰府歴史スポーツ公園相撲場入口付近に建てられた遥拝所。
福岡・筑紫野線道路開通のため、現在は宝満宮の裏山に移転した(大正9年)
とのこと。
現在の場所に移る前は
歴史スポーツ公園(↑)のこの辺りにあったのだそう。↓
丘の上からは、こんな素敵な眺めがひろがっていて↓
盗人がお堂を破ったらしい。許されざる!!↓
偶然訪ねた太宰府市の【寶満宮・八幡宮】でしたが
思いがけないステキな出会いに感動しました。官道だけに!!終わり。
【寶満宮・八幡宮】
福岡県太宰府市吉松3-11-35