自分を知ることは全ての知恵の始まり【金龍寺】

先日、西公園の近辺を歩いていると、通りの角でガンガン工事をやっていて、その隣りには案内板と石柱が立っている。

なんじゃこりゃって気分で、私はその案内板に近寄ってみたのでした。

どうやらここは貝原益軒の屋敷跡らしいんです。工事は別に関係なかったけど。

貝原益軒といえば、本草学者として知られる人物。もともとは福岡藩の役人で、のちに「大和本草」や「養生訓」といった有名作品を生み出します。

案内板によりますと

貝原益軒は小さいころ神童と呼ばれ、大人になると東洋のアリストテレスと呼ばれた。

きたこれ!?やばいやつ!!
そんなことをいいながらも、私は彼をとても身近に感じているのだ!!



というのも、彼の著作の一つである『筑前国続風土記』は、出典元としてあちこちの案内板にその名を見ることができるのです。

つまり、私は色んなところですでに何度も彼に出会っていたんだな。

さて、こちらの屋敷跡は住所でいうと『福岡市中央区荒戸1丁目11-10』。↓

案内板によりますと、貝原益軒は【金龍寺】で亡くなったという記述がある。

私は偶然の出会いを大切にするタイプ。そこで【金龍寺】を訪ねてみることにしました。

明治通りを西新方面へ向かうと、通り沿い左側に大きな禅寺が現れます。こちらが【金龍寺】。曹洞宗のお寺です。

立派な山門には↓

二体の仁王像があって↓

そのそばには案内板。読んでみます。↓

【金龍寺】はもともとは怡土國高祺村(糸島市高祖)に、1508年高祖城主の原田弘種によって創建されました。

1611に黒田長政の家臣である高橋伊豆によって荒戸山(現在の西公園)に移されました。のち1649年に黒田忠之によって現在の地へ移ったのです。

では山門をくぐって境内へ。

境内はダダっと広くて、すごい解放感。

本堂。↓

そしてこちらに、貝原益軒とその妻である東軒のお墓がありました。↓

むむ、今日も明日も貝原益軒は勉強している。↓

境内には他にも、劇作家倉田百三の文学碑なんかがありました。


【金龍寺】

福岡市中央区今川2丁目3-23



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