自分を知ることは全ての知恵の始まり【金龍寺】
つい先日のこと。福岡市中央区の『西公園』へ出かけた帰り道でのお話です。
通りの角でガンガン工事をやっていて、その隣りに案内板と石碑が立っていましたので↓
おやと思ってとりあえず近くへ寄って見てみると↓
どうやらここは【貝原益軒の屋敷跡】であると記してあります。↓
案内板によりますと↓
貝原益軒は小さいころ神童と呼ばれ、また大人になると東洋のアリストテレスと呼ばれました。黒田藩に仕え、学者としての業績を残し『筑前国続風土記』『養生訓』『大和本草書』等60部270冊を著しました
そして↓
益軒と東軒夫人の夫婦の墓は銅像とともに金龍寺(今川2丁目)にあります
とありました。
ちなみに今立っているこの屋敷跡の住所は『福岡市中央区荒戸』。↓
お墓の住所はというと『福岡市中央区今川』。
ご存じかと思いますが、私は「偶然の出会いを大切にする」タイプ。
ということでさっそく【金龍寺】を訪ねてみたいと思います。↓
明治通りを西新方面へ向かうと、通り沿い左側に大きな禅寺があらわれます。
こちらが【金龍寺】。曹洞宗のお寺。
立派な山門には↓
二体の仁王像があって↓
そのそばに案内板。読んでみると、↓
【金龍寺】はもともとは(糸島市高祖)に、1508年高祖城主の原田弘種によって創建されました。
1611に黒田長政の家臣である高橋伊豆によって荒戸山(現在の西公園)に移されました。のち1649年に黒田忠之によって現在の地へ移ったのです
とのこと。怡土國高祺村→荒戸山→今川という歴史の流れ。(※『西公園』のお話はこちらも是非!↓)
それでは境内へお邪魔します。
山門をくぐると、そこからはダダダっと広くて、すごい解放感。
本堂。↓
貝原益軒とその妻である東軒のお墓がありました。↓
今日も貝原益軒氏は熱心に勉強中で、↓
また境内には他にも、劇作家倉田百三の文学碑といったものもありました。↓
完。
【金龍寺】
福岡市中央区今川2丁目3-23