結局また矢印に導かれてしまうことに【筑紫神社04】
前回の続きです。↓
前回、筑紫野市原田地区に鎮座する【筑紫神社】を訪ね、「粥占祭」は3月に開催されるということを学んだのでした。こんにちは。↓
今回も引き続き、境内を散策していきたいと思います。↓
楽しそう!!いい笑顔!!↓
愉快だな!!↓
拝殿内をちらっと失礼して。↓
国号起源。↓
神馬。↓
社殿左脇から、本殿。↓
こちらはなんだろう!?粥占いが行われる神聖な場所!?焦げた跡があるけど果たして。↓
残念ながら進めるのはここまでみたい。↓
そこでサイドチェンジ。右サイドから駆け上がるも↓
やっぱりここまでが限界。↓
そのまま境内右側へ向かうと、そこにはずいぶん急な階段があって↓
さっそく下りた先にはなにやら石碑があるみたい。↓
ダッシュでゆっくり下ってみます。↓
振り返るとこんな景色。↓
少し先まで進んで↓
もう一回振り返る。
なにがなんでも振り返る。
上からちらっと見えていた石碑は「忠魂碑」と↓
「日露戦役記念碑」。↓
通り沿いから見ると、こういう具合になっていて↓
通りをこのまま先へずっと進んでいけば、『五郎山古墳』そして『JR原田駅前交差点』へと道は続いていきます。↓
ではそろそろ境内へ戻ろうとしたところ、↓
階段そばに説明書きが立っており、謎の矢印が左を指している。↓
なにごとかと思って読んでみると↓
江戸時代より長崎街道原田宿として栄えてきた当地「原田」には延喜式名大神筑紫神社が鎮座される この街道を往来する人たちは、牛馬を境内下の広場に休ませて道中の安全祈願のため、この参道を通って参拝したと伝えられる
つまり、江戸時代の旅人はここで牛馬を休ませ、それから矢印方向に参道を通って【筑紫神社】参拝をしたんだよ、ということみたい。↓
(※後日、長崎街道のほんの一部を辿ったお話はこちらで!↓)
そこでさっそく、旅人気分で矢印に導かれて歩いていくと、↓
参道はゆるやかな上り坂になっており、↓
最終的にその道は、手水舎裏へとつながっていました。↓
そして参拝を終えた旅人は、社殿をあとにして↓
休ませていた牛馬とともに、
再び歩み始めるわけですが↓
それはつまり、前回のお話にもあった「原田宿」を通り抜けていくということ。↓
そして「原田宿」のお話は次回に!↓
【筑紫神社】
福岡県筑紫野市原田2550