まずは橋から攻めることにしたから【下之橋御門/福岡城02】
前回の続きです。↓
前回、福岡市中央区にある福岡城の↓
そのお濠の前を並走する明治通り沿いの↓
遊歩道の地下鉄赤坂駅そばにある↓
【福岡城堀石垣】を見学したのでした。こんにちは。
こちらの石垣施設の中で、石垣やお城の説明書きに触れるうちに、福岡城のことをもっと色々と知りたくなり↓
それなら福岡城を散策してみようという気分になったので↓
そのまま【福岡城堀石垣】を飛び出して、通り沿いを西へ向かうのであった。↓
緑がもりもりしていて、気持ちが良い散策日和。↓
向こうに見えるのが↓
『上之橋』で、その先には、かつてあったという、↓
『上之橋御門』の跡。↓
右側はこんな感じ↓。
今回はまだ橋は渡らずに、このまま遊歩道をお濠に沿って進んでいきます。橋を渡った先へは、次回訪ねたいと思います。↓
さて『上之橋御門』があるということは↓
『下之橋御門』もあるわけで↓
遊歩道をここで左へ曲がると↓
こちらが『下之橋』。↓
橋を奥まで進むと↓
そこに『下之橋御門』。↓
ちなみに、遊歩道をさらに西へ進んでいけば『黒門橋』が架かっているんですけど
そちらもまた別の機会(↑)に訪ねたいと思います。
それでは『下之橋御門』へ向かいますよ。↓
橋を渡って振り返るとこんな景色。向こうに見えるのは「明治通り」です。↓
『下之橋御門』のそばに案内板がありましたので↓
さっそく読んでみると↓
城内への門は堀に架かる3つの橋『上之橋』『下之橋』『追廻橋』にそれぞれあり、『下之橋』を渡って入る門が『下之橋御門(下の橋大手門)』です
そして↓
現在の門は文化2年(1805)に建てられましたが、明治時代に上層部を失いました。平成12年の不審火被災からの復旧で、二層櫓門として復元されました
とのこと。また福岡市中央区のHP(リンク切れ)にも『下之橋御門』に関する記載がありましたので、参照します。↓
明治6年の農民一揆の際、当時城内にあった県庁に一揆軍が攻め入り、竹槍や鎌で突いた傷跡が、この門には多くあります
この地図には、福岡城に架かる3つの橋の場所が記載されていて、分かりやすいですね。↓
案内板には写真資料もいくつかあって、こちらは門が一層の時の『下之橋御門』の姿。↓
さらにその前の姿も。↓
で、現在の姿はこう。↓
門の上はこうなっているよ。↓
先述の門柱を見てみます。ここに確認できる、ぼこぼこしている箇所が、一揆で出来た傷ということ!?
いや不審火で焼失したから、もう無いのかな。でも残ってるという記述もあるし!?なんだか良く分かりません。↓
それはさておき、『下之橋御門』をくぐるとこういう具合になっていて、↓
振り返れば、こんな感じ。↓
ついでにもう一回振り返ってみたい。何度でも振り返りたい。すると↓
おや?妙に似た雰囲気の建築物が『下之橋御門』の隣りに建っています。↓
ほらこっちが『下之橋御門』。やっぱり似ています。混乱。↓
この建築物は『伝・潮見櫓』というものらしく↓
説明書きにはこうありました。↓
福岡城に50近くあった櫓の一つ。大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年に再移築。潮見櫓の本来の位置は現在の位置ではなく、三の丸北西角
そして↓
この建物は調査により、潮見櫓ではなく城内の別の櫓であると考えられています
は??「潮見櫓」とされていた櫓だったんだけど、なんかこれ違うっぽいということの表現が、この『伝』の一字に詰まっているってこと!?↓
もしそうなら、本当の潮見櫓はいったいどこに?え頭が熱くなってきた!オーバーヒートでくじけそう。でもみんなのために頑張ります。↓
ちなみに『伝・潮見櫓』前のこの脇道は、そのまま舞鶴公園へと続いているのであった。↓
さて、今回はここまで。↓
とにかく分からないことだらけですが仕方ありません。
お話の続きはこちらで!よろしくお願いします。↓
【福岡城/下之橋御門】
福岡市中央区城内2-1