旧石器時代から江戸時代にわたる大遺跡【有田遺跡群02】
前回の続きです。
前回、『早良郡家官衙跡』のヒントがあるかも!?という閃きと期待を抱き、「有田西公園」へ向かってみることにしたんです。
そして向かうにあたっては、福岡を東西に横断するという官道ルート『壱岐対馬路』を辿っていくことにしたのであった。

まず暫定的に薬院駅前をスタート地点に設定して、六本松駅前まで辿り着いたというのが、前回のあらすじです。こんにちは。

この官道の道筋は書籍「海路12号」に記されていて、それはこんな具合。(参照させていただきます。ありがとうございます)↓
樋井川を渡り、きれいな直線で有田・小田部の丘陵地まで続いている
では今回も引き続き、元気に辿っていきましょう。スタート!

六本松を過ぎ、そのまま202号に沿って進むと、

さっそく樋井川のお出迎え。

さくっと渡った先には別府大橋がぐいんとのびており、その脇道を駆け抜けていきますよ。

別府駅を通り過ぎ、

それから、城南学園通りの横断歩道を渡ると、「中村学園大学」があって、

大学のすぐ先には荒江団地が広がっており、

団地が広がる202号の通り右手に!給水塔を確認!

さっそく書籍「団地の給水塔図鑑」で調べてみたところ、

(参照させていただきます。ありがとうございます)↓
書籍内分類ではボックス型(角ばった細長い箱のような形は給水塔の最大勢力)。福岡の公団給水塔でよく見られる四色の虹
とありました。(※給水塔についてはこちらの記事も!↓)
さて荒江の交差点で早良街道を越えると、↓

いよいよ早良区へ突入。↓

油山川に架かる高橋を渡った先に、↓

大きな原交差点の三叉路が目の前に広がります。

手前を左右に横切るのは「原通り」。↓

その「原通り」向こうの三叉路を左へ入っていく小道が、どうやら?『太閤道』の道筋らしく?(※太閤道ついての詳細はまた後日に!)

そこでそのまま一緒に左へ逸れて進んでみます。

金屑川に架かる「小田部橋」を渡り、↓

「西福岡中学校」の先で左へ曲がると、↓

そこからずずいと南下した先に公園を発見。イエスここが「有田西公園」。

フェンスに説明書きが貼り付けてありましたので、さっそく読んでみます。↓
有田遺跡群は早良区有田・小田部・南庄地区に広がる旧石器時代から江戸時代にわたる大遺跡。これまで160ヶ所を越える地点を調査。当公園周辺の高畑地区の調査では縄文時代中期から後期にかけての貯蔵穴群が発見されました。半円形に配置されており、縄文時代の生活遺跡としては数少ない遺跡の一つ。弥生時代以降では古墳時代の竪穴住居址を主とする遺構が周辺地域から数多く見つかっており、同時期の集落が台地全体に広がっていたことが分かります
そばの石碑にもなにか記されていましたので、

こちらもさくっと読んでみますね。↓
遺跡は弥生時代から鎌倉室町時代まで連続する大村落のあと。穀物貯蔵用の穴倉、竪穴住居のあと、溝・製鉄工場などが発掘されました
ほぅ。残念ながら『早良郡家官衙跡』に関するお話はありませんでした。

有田1丁目界隈の筈らしいんだけど。『早良郡家官衙跡』はまた別の場所にあるのかな。

詳細が分かり次第、緊急でご報告したいと思います。

それではごきげんよう。さようなら。
【有田遺跡群(有田西公園)】
福岡市早良区有田1丁目40


