かつて遠干潟だったという鳥飼の地に【鳥飼炭鉱】
福岡市中央区の六本松地区を訪ねた時のお話です。

時間が余ってすごく手持ち無沙汰。ツタヤ六本松店でさえも私の時間は潰しきれないのだ!というわけで、まったり建物を出て辺りを歩いてみることにしたんです。こんにちは。

するとさっそくこんな像が立っており、↓

そばに説明書きがありましたので、↓

なんなのこれえとか言って、読んでみるとこうありました。↓
昭和25年に歴史を閉じた旧制福岡高等学校の光栄を偲んだ青陵乱舞の像
さらにそばには立派な碑まで立っており、たいそうな力の入れよう具合を感じざるを得ない。↓

その聳え立つ石碑のすぐ隣には『陸軍墓地入り口』の案内の碑も立っています。この道は『谷公園』へと続く道なんだなと。
以前のお話ですが、旧筑肥線の跡を辿った時に、その道すがら『谷公園陸軍墓地』へ寄ったことがあるんです。(※その時のお話はこちらで是非。↓)
さて、青陵乱舞の像をあとにしてそのままぶらぶら歩きだしたら、すぐのところに案内地図を発見。すかさずチェックです。
地図によれば、どうやらこの敷地はぐるり1周遊歩道としてきれいに整備されてるみたい。

いいじゃん、時間をつぶすにはうってつけ。1周歩いてみることにしましょうか。

遊歩道にはそこかしこにいくつも説明書きが立っており、↓

見て歩くだけでも楽しいもの。それぞれに地域の歴史や自然環境の詳細がしっかり解説されています。

中でも特に気になった説明書きがありましたので、↓

あなたと私、一緒に読んでみることにしますよ。↓
鳥飼一帯の地下に石灰層があることは、明治20年代から知られており、明治末年にはじめて採炭が始まりました。当初はクワとモッコの「狸掘り」。大正初年に樋井川沿いの西新町、姪浜にかけて、続々と炭鉱が開発されました
続きます。↓
好況も永くは続かず、災害が追い打ちをかけついに廃坑に。1951年、鳥飼小学校が炭鉱のボタ山の跡に開校。ここ六本松でも裁判所庁舎の建設中に鳥飼炭鉱の名残と思われる石炭層が発掘されました
とのこと。現鳥飼小学校はこちら。↓
また鳥飼の地名の由来を調べてみると、
古来、伝説の鳥に飼われたという人々が住むとされた魔境
なわけはなく、書籍『筑前故地名ばなし/池田善朗著』から参照させていただくと(ありがとうございます)、↓
鳥飼。トロ・カ・ヒ。トロは鈍い状態を指し、ヒは干潟、カは助詞。つまり遠干潟の地形のこと
とありました。

といったところで、そろそろお別れのお時間。充実の時間潰しとなりました。

ご清聴ありがとうございました。完。
【六本松ツタヤ界隈】
福岡市中央区六本松4丁目2-1
