屯水水門は謎のまま【四王寺県民の森センター03】

前回の続きです。

前回はといいますと、【四王寺県民の森センター】内にある「ワンヘルスの森ミュージアム」で四王寺山に関する興味深い資料を眺め、ぐっと感動したのでした。↓

今回も引き続き、「ワンヘルスの森ミュージアム」を見学していきます。(展示物から参照させていただきます。ありがとうございます)↓

さて、まずは「信仰」としての四王寺山のお話があって、↓

さっそく読んでみると↓

古代山城としての大野城は9世紀後半には役割を終えました。宝亀5年(774)年には新羅からの攻勢を妨げるため四天王寺(四王寺)を建立。寺院の位置は明らかではないが、発掘物から山頂付近ではないかと考えられています

続きます。↓

山麓にもいくつかの寺院が建立され、一大聖地として祈祷が行われましたが、戦国期の天正14年(1586)、寺院は姿を消すことに。近世になって、33観音霊場や毘沙門天詣りなどの信仰習俗は続き、山は信仰の聖地として象徴づけられました

とのこと。また「城門」のお話もありましたので↓

こちらも参照させていただきます。↓

城内への門は9ヶ所確認されており、宇美口城門のあった北の百間石垣(約180m)はここから近くおすすめ。城内には奈良時代から平安時代にかけて造られた礎石建物が70棟確認されています

他にも、古代山城としての四王寺についてだとか、↓

また「県民の森全体図」も。それぞれチェックしたら↓

そろそろ退出のお時間です。さっそく1階へ下りてみると↓

ベンチの前にもまた、ステキなイラストが壁に貼られていましたので、ひと通り見終えてから↓

センターをあとに歩き出します。すると、おや?出入り口にも説明書きを発見!さらに礎石の姿まで!なんなんすかこれ。え!?

とりあえず説明書きを読んでみると↓

大野城宇美口(北口)城門礎石。この礎石は百間石垣のそば、四王寺川の川底から発見された大野城の宇美口城門礎石。現在確認されている大野城の城門は宇美口・太宰府口・坂本口・水城口の4ヶ所。北向きの城門は宇美口のみ。尚研究の余地を残している

だそうです。

 

センターを出て、やって来た道をそのまま引き返していたら、↓

来るときにはさっぱり気づかなかった『屯水水門』の案内が立っていましたので↓

いざ上ってみることにしました。↓

この案内の、矢印がぐいんってなってる向こう側の↓

ここがどうやら『屯水水門』っぽいんだけど、果たしてどうなんでしょう。

っていうか『屯水水門』ってそもそも何?屯水!?ぐっと謎も深まったところで、

今回のセンター話はこれにておしまい。解散です。『屯水水門』についてはまたいつか。お付き合いいただきありがとうございました。完。

(※2024/09/追記)

先日たまたま手にしたパンフレット「大野ジョーと行く!古代山城大野城跡」内に「屯水」についての説明書きがありましたので、

ここに参照させていただきます。↓

屯水は大野城跡で見ることができる唯一の水門。屯水石垣の中にあり、水口部は幅50cm、高さ40cm。大きな石でしっかり組まれています。水門の底石は岩盤で、谷の底から水が出ています。底石は50から80cmごとに10から20cmの段差があり、低い階段状になっています

ありがとうございます。


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【四王寺県民の森センター】

福岡県糟屋郡宇美町四王寺207