三種の神器は三種だからいい感じ【やよいの風公園03】

前回の続きです。↓

これまで前々回前回と2回にわたり、福岡市西区にある【やよいの風公園】を散策してきました。

今回は最終回。引き続き、飯盛山から吹き降ろすという、やよいの風を感じたいと思います。↓

では続きます。前回ちょうど駐車場のある公園入り口までやってきました。

そこには2匹の動物をモチーフとしたオブジェが設置されていて

これはなんだろうと不思議に思っていたんです。

するとこちらの説明書きに↓

こう記してありました。↓

2頭のシカ。特定集団墓112号甕棺の外面に刻まれた2頭の鹿をモチーフにしています

それでは、このオブジェがある「シカしか広場」から今回も元気にスタート!

遊歩道の先にこんもりと膨らんだ場所が見えています。↓

あれは「大型建物展望地」。大型建物について解説のあるセクションらしい。さっそく向かいますね。↓

展望地には、こういう具合に説明書きがいくつも設置されていましたので↓

ざっくり参照していきます。↓

まずは遺跡発見ヒストリーから。↓

この地ではときおり田んぼの中から土器や石器が採集できたことから、遺跡があるのではと考えら、昭和43年の調査で遺跡が確認されました。

当時の航空写真。↓

続きます。↓

昭和60年には弥生時代の大型甕棺墓や木棺墓から青銅製武器やアクセサリー(装身具)が続々出土。なかでも三号木棺墓からはそれまで見られなかった鏡・武器・玉の三種が同時に出土。「最古の王墓」として大きく報道されました。さらに弥生時代最大級の大型建物や大規模な甕棺墓群「甕棺ロード」なども発見されました

こちらにはガラスの説明書きもあって↓

さっそく読んでみると↓

ガラス越しに見えるT字路の道路下には大型建物跡が残る。柱穴の規模・配置・民俗事例より高床式の建物、また土間式建物の案も

ちょっとずれてるけど。ガラスを越さないで見るとこう。↓

さらに詳しい説明書きが。↓

読んでみると↓

昭和59年の調査で、大きな柱を使った建物の跡が見つかりました。広さは最大14×13m。弥生時代中期後半(約2100から2000年前)のもので、国内最大級

ちょうどTの交わるところに柱穴。つまりこの辺ですね。↓

こっちにもやや古くて大きな説明書き。↓

読んでみます。↓

建物跡は東西の柱間が4間、南北の柱間が5間の規模で、四面に5柱間ずつの廻り縁らしいものがつく。床面積は120㎡以上と非常に大きい

とのこと。それでは園内に戻って↓

最後のセクション「特定集団墓」へ向かいます。↓

いくつかの説明書きをまとめてみると↓

発掘調査により、整然と並んだ弥生時代の木棺墓・甕棺墓が発見され、青銅器や装身具がたくさん発掘されました。有力者たちの墓と考えられ、特定集団墓と呼ばれています。とくに3号木棺墓の鏡・武器・玉類は例のない副葬品で、最古の王墓として注目を浴びました

続きます。↓

特定集団墓では、亡くなった人に青銅器や装身具を見に付けさせたりします。青銅器は朝鮮半島に由来するもの、アクセサリーのうちのヒスイは新潟県などの糸魚川産。遠い地よりもたらされた入手困難な品々であった

そして↓

大量の副葬品がまとまって出土した【吉武高木遺跡】の特定集団墓はきわめてまれである

なるほど。また↓

特定集団墓では20m四方の範囲に十数基の墓が向きをそろえて整然と並んでいる

もう少しだけ続きます。↓

「国」の原型は古くから「早良」とよばれるこの地に現れました。しかし中国の歴史書にはその記述なし。つまり、勢力が広くまとまっていくことはなかったのでしょう

だそうです。シカのモチーフについては↓

特定集団墓で発見された112号甕棺には「2頭のシカ」が描かれていました。枝分かれした角をもつオスと、角が抜け落ちたオスもしくはメス。毎年生え変わるシカの角に農耕のサイクルを重ね、生命の循環や再生を祈ったのでは

そして実際に描かれた様子。↓

そんな「特定集団墓」が位置するのは、公園隣りを走るこの道路で↓

つまりこういう風になっているらしく↓

さらにこのボードで詳細に解説してありました。↓

これにて見学はおしまい。いい風、夢気分。終わり。


【やよいの風公園】

福岡県福岡市西区吉武