黒田藩主の苑と御畠山だった若久【若久住吉神社】
前回の続きです。↓
前回、作家夏樹静子氏の記念碑を見に、福岡市南区にある『若久団地(ワカヒサージュ)』へ向かいました。その帰り道のこと。
若久通りの向かいに【若久住吉神社】が鎮座するの見つけましたので、↓
さっそく訪ねてみました。今回はそのお話です。こんにちは。
階段を上ると↓
鳥居があって「住吉大明神」の扁額。↓
そこから再び階段が続き↓
真っ直ぐのびた参道の先に↓
もうひと階段。↓
上り終えると、鳥居と注連柱の向こうのところに社殿。↓
振り返るとこんな景色で↓
境内左手に御神木。↓
そばに由緒書きがありましたので、読んでみると↓
ご祭神は「底筒男神」「中筒男神」「表筒男神」の住吉三神。相殿に「神功皇后菅原神社(菅原道真)を合祀」。一説には、約380年前に、この附近のお金持ちがこの地をならし、黒田長政によって造営されたものと伝えられています。のち昭和39年に改築。神殿内には絵馬が掲げられ、社殿正面左手には黒田長政公植樹と伝えらえる山桃の木がそびえています
とのこと。
狛犬。↓
ちらっと拝殿内を失礼して。↓
本殿。↓
前回の『若久団地』でのお話にもありましたように、ここ南区若久の地はかつて江戸時代、黒田藩主の苑があって「御畠山」と呼ばれ、美しい里山の風景が広がっていたと。
そんな美しい若久の地へ黒田長政が【若久住吉神社】を造営したんだよというお話でした。ふぅん。といったところで、↓
【若久住吉神社】参拝及び若久地区の散策はおしまいです。
でもお話はもう少しだけ続きます。
よろしくお願いします。↓
リンク
【若久住吉神社】
福岡市南区若久1丁目20-28