WとYとワカヒサージュ(ジャ)【若久団地02】
前回の続きです。↓
前回、西鉄大橋駅を出発し福岡市南区の【若久団地】へ向かうにあたり、おいこれ近道っぽいぞっていう坂を越えていたら、↓
その坂は急勾配でとっても大変だったなあ。これが前回のあらすじです。
ちなみになぜ【若久団地】に向かっているのかといいますと、
こちらの団地のどこかに、作家夏樹静子氏に纏わる碑があるときいたからなんです。では今回も続きます。
若久通りにある「若久団地入り口」信号で左へ曲がると
その先に【若久団地】が広がっています。
それから「若久川」に架かる「若久橋」を渡り↓
そのままゆるやかな坂道を進んでいくと↓
憩いのスペースがあって↓
案内板がお出迎え。↓
さっそく読んでみますね。↓
若久の歴史。ワカヒサージュ。原風景の継承。若久には江戸時代、黒田藩主の苑があって、「御畠山」と呼ばれ、美しい里山の風景が広がっていた。昭和39年に若久団地が作られて50年。平成21年、若久団地はワカヒサージュに
え!?若久団地じゃないの!?ワカヒサージュ!?なにそれ。「ジュ」!?「ジャ」のほうが個人的には好み!ワカヒサージャにしようよ!!別にいいじゃん!!頼む!!
まあそれはさておき。こちら、案内板に添えられていた、かつての団地の姿。↓
では先へ進みましょう。左側から団地をぐるっと廻ってみます。↓
カーブを過ぎてすぐのところに↓
こんな案内板が立っていて、ここは「いろどりの路」。
左手奥へ入れるようになっており↓
正面から見るとこんな感じ。↓
そこは小さな公園で、園内にはミニ迷路遊具の姿も。↓
そしてその手前にあるのが、目的の碑、碑、ヒ!!↓
近づいて見てみると↓
こんな風に記されていました。
なんきんはぜの羽音がきこえる。目を上げれば背振の峰。私の心がいつも帰っていくのは、いつもそこにあった。こよなくもやさしいきらきらした日々
さらにこんなプチ情報も!↓
若久団地在住期間昭和40年秋から昭和47年春
もちろんミニ迷路はとっても楽しそうだけど、↓
あまり公園内でウロウロしてはいられません。用事が済みましたのでさくっと失礼します。いやいや、ちょとまてください。マテマテ。
肝心の!!夏樹静子氏とはいったい!?誰なんです!?帰る間際に!!
全く不勉強でごめんなさいですけど、お名前しか存じ上げません。これを機会に調べてみました。(wikipedia『夏樹静子』、書籍『夏樹静子と福岡』等参照)↓
「ミステリーの女王」だよ。東京出身です。大学卒業後すぐに結婚し福岡市(大橋団地のちに若久団地)に移り住みました。作品はテレビドラマに映像化されたり、薬師丸ひろこ『Wの悲劇』他、名作多数。中洲や糸島、博多駅など福岡の土地が作品に出てくることも結構あるんだよ
続きます。↓
そして深く影響を受けたエラリー・クイーンとの交流もあったり!?なかったり!?ちゃんとありました
今回訪ねた碑というのは若久団地20周年記念事業のもので、1983年に建立。夏樹氏の団地時代の回想を読んだ記念碑です。
といったところで、夏樹静子氏記念碑の見学はおしまい。そこからそのまま真っ直ぐ若久通りに出てみると、↓
通り沿い向かいのちょっと先のところに、ふと神社が鎮座するのを見つけてしまったのであった。
あれは『若久住吉神社』。さっそく訪ねてみますけど、そのお話は次回に!
【若久団地】
福岡市南区若久団地