その名にし負う百間石垣バリバリ【宇美口四王寺山03】

前回の続きです。↓

これまで数回に渡って、宇美町側から四王寺山を登り始めているわけですが、↓

前回はといいますと、まず『小石垣』それから、↓

『北石垣』といった石垣群を駆け抜けた先に、↓

ザ最後の大物(比喩)【百間石垣】があらわれたのでした。そしてその大石垣を目前に、もう大興奮ですよ。こんにちは。↓

それでは今回も引き続き、元気に歩いていきましょう。↓

【百間石垣】前に説明書きがありましたので↓

まずはそちらを読んでみます。↓

大野城跡 百間石垣。大野城の城壁は土を高く盛り上げた「土塁」で囲まれているが、起伏の激しい地形のため谷間は土塁ではなく石を積み上げたダムのような石塁とし、急傾斜部は石垣を作るなど工夫をこらしている

続きます。↓

この「百間石垣」の名称は、四王寺川の部分っを石塁とし、それに続く山腹部を石垣とした城壁で、長さ180mほどであることから名づけられました。平均4mくらいの高さが残っており、川底部では石塁幅は9mほどある。外壁面の角度は75度前後である

もう少し続きます。↓

この川の中から今までに3個の礎石などが発見、川に近い場所に城門があったと考えられる

とのこと。川のこの近辺に城門があったということみたい。↓

こちらはおなじみ、あの歴史クラブの説明書きで↓

読んでみると↓

大野城跡で一番大きな石垣。住所は四王寺字大石垣

とありました。いつもサンキュー、歴史クラブのみんな。↓

おや!?岩場の間に石仏の姿を確認。↓

さっそく向かってみることにします。

すべらないように細心の注意で歩きますよ。↓

左手には石垣。大きな大きな夢がある。↓

で、こちらが『三十三体石仏第22番札所』という形になっている。↓

ではいざ、百間石垣を登ってみることにしましょう。怖そうだけど登れそうな気もする。↓

さらさら流れているのはおそらく「四王寺川」で↓

先のほうにいくつか案内板がありましたので↓

順に読んでいきたいと思います。↓

まずはこの小さな説明書きより。↑

百間石垣は深い谷を防ぐ城壁の一部で、長さは文字通り百間(180m)ほどあり、川の近くに城門がありました

それからこちら。↓

ごくごくざっくり参照してみますと↓

大野城は政庁の北に聳える四王寺山中(標高409m)にあり、北は博多湾から南は筑後方面を眼下に納める絶好の場所に立地し、山頂と山腹に土塁が、谷間には石垣が構築されています。現在確認されている城内への入り口は5ヶ所。食料の備蓄や居住に利用されたと考えられる70棟あまりの建物が丘陵を造成した平坦面に残されています

とありました。そして「大野城全体図」。↓

「百間石垣案内図」。↓

「大宰府と大野城」。↓

さらにもう少し説明書きがあるので↓

ざっと読みます。↓

百間石垣は大野城の北の要(宇美口)に位置。石垣の大半は頑強な岩盤の上に構築され、裏込めに栗石を使用した透水性の高い断面構造をなし、石垣の南側には地下水を排出するための吐水口が設置されるなど、水に配慮した当時の技術の高さをうかがい知ることができます

といった具合。予備知識はばっちりです。【百間石垣】へ向かいましょう!

写真で見るとそうでもないけど、これ結構怖いかも。急斜面なんです。振り返ってみる。写真では恐怖が上手く伝わらない。悲しい。↓

右が『石垣見学道』で、左が登山道。↓

もともと高所が苦手ってこともあるので↓

ようやっと近寄った『石垣見学道』のここが私の限界。GENKAI。GIRIGIRI。

というわけで、ダッシュでゆっくり下ります。↓

といった具合に、私の【百間石垣】見学はこうして終わりを告げるのであった。↓

ここからは林道を歩いて、引き続き【野外音楽堂】を目指しますが、↓

お話の続きは次回に。次回が最終回です。よろしくお願いします。↓


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【百間石垣】

福岡県糟屋郡宇美町四王寺