公園は見た目によらないことがある【南大橋1号公園】

前回の続きです。↓

前回、私は『那の津宮家』を探し求め、福岡市南区の三宅地区に鎮座する『若宮八幡宮』を訪ねました。

そして話の流れから今度は【三宅廃寺】を探すことになったんです。【三宅廃寺】(の跡)はどうやら『若宮八幡宮』からすぐそばのところにあるらしい。

ここまでが前回のあらすじ。それではさっそく【三宅廃寺】(の跡)へ向かってみますね。↓

『若宮八幡宮』から『みやけ通り』を西鉄大橋駅のほうへと進みます。つまり、前回やって来た道をそのまま引き返します。↓

そして途中にある三宅1丁目の交差点で、今回は左折して↓

そこからさらに細い道へ入っていくと↓

ここに公園あるじゃん!?こちらが今回の目的地である【南大橋1号公園】です。↓

なんの変哲もなさそうな公園。そう、なんの変哲もないんです。

公園の少し先には、飛び地みたいになっている緑地があって↓

どうやら、この辺り一帯を指して【三宅廃寺】の跡らしいのだ!ということみたい。

特に案内板も説明書きも見当たりませんので、果たして真実なのかは分かりません。雰囲気でお届けしてます。察して!!

さらにインターネットで調べてみたら、こんな新情報を発見。↓

この公園の場所には、かつてお城があったかもしれないよ!

とか書いてあるんです。!?

(以下、※サイト『ニッポン城めぐり』を参照させていただきました。ありがとうございます)

 

お城の名前は【古野城】、通称は『亀ノ尾城』。築城主は的野了心という人物なのだそう。

サイトの解説によりますと↓

ここには『古野城』というお城がありました。戦国時代に、この地の豪族であった的野氏が築城したとされている城郭です。

のち豊後の大友氏が筑前に攻め入った後に、大友氏に降った麻生氏の居城となりました。詳細な場所は分かっておらず、遺構なども確認することは出来ない

戦国時代ということですので、15世紀末から16世紀辺りのこと。

一方【三宅廃寺】はというと、8世紀辺りの奈良時代のこと。

つまり、ずいぶんと時を隔てて、同じ場所にそれぞれ特別な建物が建っていたということになります!?

たしかに、この公園がある場所は丘陵地帯。ゆるやかな坂道が続き、公園の先にはキツメな坂道が続く立地。寺や城に適しているとかいないとか!?

このありふれた、小さな町の公園が!!かつてお寺だったかもとか!!お城だったかもとか!!やるぅ!!

見た目じゃ分かりません。


【南大橋1号公園】

福岡市南区南大橋1丁目22