全ての中心それがセンター【四王寺県民の森センター02】
前回の続きです。↓
前回はといいますと、大野城市乙金地区にいくつかある登山口のうち、左サイドから四王寺山のTEPPEN目指してみようと思い立ったわけです。が、歩き続けているうちに↓
TEPPENよりもセンターを目指したくなって、『県民の森センター』へと向かい始めたのでした。こんにちは。↓
それでは今回も元気に歩いていきます。さて「八ツ並地区」の森を抜けて、ショートカットで『県民の森センター』へ向かおうとするも、なぜかいっこうに辿り着けない。不思議な感覚。
これって時空のゆがみ!?永久機関!?メビウスの輪!?いやいやブレアウィッチ伝説!?
とかぶつぶつ言っていても仕方ないので、ちょっと冷静になって考えてみたら、どうやらこういうことだったんです。この情報、みんなにシェアします。↓
さっそくセンター近道を下っていくと、再び舗装路が出てきて、なるほどこれがショートカットの底力か!と感激。↓
すかさず現在地を確認し↓
そこから右へ少し進みます。すると『県民の森センター』の案内が出ており↓
ここは駐車場の出入り口でもあるので、車に気を付けながら↓
さっそく中へ入っていきます。↓
入ってすぐのところには案内が立ち並んでおり、
また概略図もあって↓
そしてこちらには図と概要。↓
さっそく読んでみると、↓
県民の森は福岡市の東南19キロのところにあり、玄界灘から筑紫平野までを一望することができます。特別史跡「大野城」、雨乞い池と伝えられる「鏡ヶ池」、古戦場「岩屋城跡」、「四王寺跡」、「四王寺山」などの史的環境を活かして整備を行っています
とありました。つまり、山でも城でもぐるっとぐるぐるこの一帯全部を含めた総称が【県民の森】ということみたい。そして現在いるこの場所はというと、
その【県民の森】の『センター』なのだ!↓
さて、そんなセンター奥には建物が1棟建っており、それはさながら巨大な高床式倉庫のようで↓
さらにその後ろには公園のようなスペースも確認することができます。↓
奥にあるのは『こどもの国』だそうで、すっかり老いてしまった私には入れない禁断の場所!?入る、入らない。ああジレンマ。この緊張感。結局入りません。↓
今回はいったん引き返し、高床式建物「ワンヘルスの森ミュージアム」(2階部分)へ向かうことにします。↓
建物内には、県民の森そして四王寺山にまつわる資料があれやこれやと展示してあり↓
その中から興味深い展示をいくつか参照させていただきつつ、見学を楽しんでいこうと思います。↓
まずこちらは『筑前参宮鉄道』のパンフレット。「本邦最古の国防城址と史上に輝く古戦場の視察へ」。勇ましかっこよい!↓
説明書きもありましたので↓
さっそく読んでみる。↓
大正時代、国鉄吉塚駅から太宰府までの路線で「筑前参宮鉄道」が計画されました。結局、吉塚駅から勝田駅までが敷設されました。毘沙門天堂では「四王寺毘沙門詣り」が伝承され、宇美町民俗文化財に指定されています
とのこと。さらに四王寺山に関するお話が続き↓
それはこんな具合。↓
奈良時代末期、大野城には四天王増が安置された四王寺が建立されました。記録には、国家仏教によって新羅の呪いを払うため、海を望む眺望の良い場所に建てたとあり、山の西側の毘沙門堂辺りに寺の中心建築があったと考えられます。平安時代の終わり頃は、末法思想によって四王寺山には盛んに経塚が造られました
「経塚」というのは、経典を土中に埋納した塚のことだそうです。お話はもう少しだけ続きます。↓
鎌倉時代、四王寺山東のふもとには、原山無量寺などの中世寺院が建立され、時宗を開いた一遍上人が訪れました。江戸時代には西国三十三観音にならった33の石造観音が安置されました。四王寺山は地域信仰の聖地
とありました。さてさて。見学はもう少し長くなりそうです。
お話の続きは次回に。次回が最終回!よろしくお願いします。↓
【四王寺県民の森センター】
福岡県糟屋郡宇美町四王寺207