元は遊園地『向島』開園記念灯籠【博多町家寄進高灯篭】
前回、福岡市中央区の『住吉橋』まで足をのばし、
その道すがら、偶然『住吉橋』のたもとに石碑を見つけたのであった、というのが前回のお話です。↓
今回はその続きになります。こんにちは。ではさっそく『住吉橋』を渡ります。と見せかけて渡らないのだ!!↓
そのまま那珂川の川沿いをもう少し北上。↓
すると那珂川に「なだのかわ橋」が架かっているので、こちらを渡ります。↓
そして橋の上から北を見やると右手向こうに、↓
巨大商業施設『キャナルシティ博多』の姿を確認することが出来る。↓
あの辺りが今回の目的地なんです。↓
商業施設『キャナルシティ博多』と那珂川(博多川)に挟まれた川沿いのスペースは、↓
きれいに緑地整備されていて「清流公園」という公園になっており、↓
その公園の先っぽなのかお尻なのかのところに、大きくてオシャレな灯籠が建っている。高さ約10メートルの石灯籠。レトロフューチャーといった佇まい。↓
この石灯籠の名前は【博多町家寄進高灯籠】。(※清流公園のお話はこちらでも!↓)
ではそばへ寄って見てみることにしましょう。
「博多川」に架かる↓
「夢回廊橋」を渡って↓
じりじりと距離を詰める私。↓
こっちは那珂川で↓
公園内はのどかな空気が漂っています。↓
ちなみにここは中洲の最南端という位置づけらしく、↓
そばに説明書きがありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
博多誓文払いの創始者として知られる漬物屋の八尋利兵衛は地域振興の試みとして中洲から住吉にかけての那珂川堤を整地し、桜を植えて、遊園地『向島』を開きました
そして↓
この灯籠は開園を記念して明治33年(1900)に建設されて住吉神社に寄進されたもの。灯籠には建設に協力した福博の商家や魚市場の人々の名が刻まれ、貴重な資料とされています。旧園地の市街地化により、明治25年(1954)に、清流公園内の現在地に移されました
さらに色々調べてみると、上川端商店振興組合HP内の記事にこんなお話が。(参照させていただきます)↓
灯籠は常夜灯としてもちろん、広告塔としての役割も果たしていました。利兵衛は明治期の商人で、14歳から博多の呉服屋で店員修行をし、30歳で漬物店・八尋金山堂を開きました。
名が知られるようになったのでは、年に一度の大安売りとして博多でせいもん払いを始めたからです
また↓
中州(!)に8角形の木造8階建て、高さ30㍍ほどの高層楼「高砂館」を立ち上げたり、那珂川での花火大会を始めたのも利兵衛です。この花火大会は会場を中央区大濠公園に移して「西日本大濠花火大会」へつながりました。1921(大正10)年に没し、順正寺(博多区祇園町)に眠っています
とのこと。
ちなみに「向島」は、現在のキャナルシティの場所にあったのだそう。↓
こちらの石碑には「移築主旨」が刻まれており↓
また、灯籠の側面には色んな人や団体の名が刻まれているんだけど、それがいい雰囲気を醸し出していてかっこいい。↓
見上げてみれば、こう。↓
たゆたゆと流れる「那珂川」はというと、この灯籠のある中洲南端を境に、
左「那珂川」と右「博多川」に分かれるのであった。完。
【博多町家寄進高灯篭】
福岡市博多区住吉1丁目4-8(清流公園)