その名is四天王の一人である【大野城跡25番札所】

前回の続きです。↓

前回、【四王寺山】を登るべく、福岡県大野城市側から「大城自然の宝道」コースを歩き始めました。

そして登り始めすぐにある休憩所にて、【四王寺山】とはなんぞやといったところをしっかり学んだのでした。

では今回も元気に山登ります。こんにちは。

「大城グリグリどんぐり橋」を渡ったら↓

740mの案内が出ており↓

もちろん階段、結構あります。↓

上にあづま屋が見えていて↓

こちらは展望台。大城自然の宝道 展望所4番。↓

とっくに結構高くて恐怖。↓

そうこうしているうちに↓

今度は展望所5番があって↓

この辺りだと、もう息も絶え絶えである。↓

ようやくこんな案内が出て↓

左へ行けば『毘沙門堂』で右へ行けば『広目天』だよ?と記してある。↓

今回はまず、数年前の登山時にも訪れた『毘沙門堂』へ向かうことにします。↓

ちなみに!先述の説明から考えれば!今歩いているこの山道 is 土塁跡ってことですよね!?え!?はあ!?

さて『毘沙門堂』前にはいくつか説明書きが立っていましたので、ばりばりチェックしていきます。↓

この青いラインがお城の外郭でありそして土塁であるということ。

また『大野城』そして『毘沙門堂』に関する説明書きもありましたので↓

読んでみると↓

大野城は山の尾根に土塁を巡らし谷には石垣を積みました。土塁は砂質土と粘土質を叩き締めながら交互に積み上げる版築をおこなって造られています。内部には建物を建て、武器や食料を貯え、井戸を掘りました。門跡は9つ、建物跡は約70棟見つかっています

続きます。↓

774年、大野城には新羅調伏のため四王院が建てられました。これが四王寺山の名前の由来。その四王院は今の毘沙門堂辺りではないかと考えられています。平安時代には多くの経筒が埋納され、鎌倉時代には原山に多くの僧侶が住み、祈りの山となっていました。戦国時代には岩屋城が築かれ大きな戦いが起こります

もう少し続きます。↓

四王院には四天王(持国天、増長天、広目天、毘沙門天)を安置したと考えられます。毘沙門堂西側は大野城で最も標高の高い大城山山頂(441m)にあたります

とのこと。四王寺山には重厚な歴史が積み重なっているんだよと。だからよろしく頼みますよと。そう言われている気がしてきて、気が重くなってきた!!でも頑張ります。

(※岩屋城のお話はこちらでも!↓)

『毘沙門堂』。地図で確認すると、ここは土塁の内側つまりお城の中ということになりますよね。↓

「四王寺山はこの辺一帯の総称です」と。↓

そして『大城山山頂』である。↓

四王寺山三十三体石仏25番それは↓

千手観音。(※毘沙門堂周りの写真は一部昔のものを使用しています)↓

さてさて、ひと息ついたわけですが。ここからどう進むかといいますと『毘沙門堂』を起点に土塁を反時計廻りに歩いてみたい。四天王の一人『広目天』方面を目指すというわけです。

その続きは次回に!よろしくお願いします。

【四王寺山/毘沙門堂】

福岡県糟屋郡宇美町四王寺