かもめが飛んだ海は遠いし渚は長し【野口雨情】
以前、JR二日市駅を訪ねた時のこと。
駅前のロータリーにいくつか碑が立っており、

その中の一つに、

野口雨情のこんな詩(都々逸?)が記されていたんです。↓
山じゃ天拝月見の名所 梅じゃ太宰府天満宮 梅と桜は一時にゃ咲かぬ うすらおぼろの夜がつづく 今日は武蔵の温泉泊まり 旅の疲れを湯で治す
なんともステキな詩ではないですか!!七七 七七 七七 七五 七七 七五。ぐっと旅情くすぐられる素晴らしい作品ですよね。

ところで野口雨情ってどんな人?福岡出身の詩人です?不勉強ゆえ全く知りませんので、

まず、wikipedia『野口雨情』の項からあれこれ参照させていただきたいと思います。(ありがとうございます)↓
野口雨情は、詩人、童謡・民謡作詞家。北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた。
茨城県多賀郡(現・北茨城市)に生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学。
父の事業失敗と死により故郷に帰り家督を継ぐ。家の没落をふせぐため、資産家の娘と政略結婚、後年破綻。
雨情は窮屈な家庭を飛び出し、事業で一旗揚げる名目で樺太にわたるが失敗
続きます。↓
『小樽日報』に勤めていたときには同僚に石川啄木がいた。
『小樽日報』を首になったころ、妻は女児みどりを出産。この子は一週間ほどで亡くなった。のちの『シャボン玉』はこのとき夭折した娘のことを歌っているとされるが、根拠がないとする説も。
夫人との協議離婚が成立。雨情は二児をひきとり育てることに。水戸に行き、中里つると再婚
軽い脳出血で倒れて後は療養に専念。疎開先の栃木県河内郡姿川村鶴田(現・宇都宮市鶴田町1744-8)の羽黒山麓で死去
羽黒山といえば、
福岡市南区に鎮座し、そして山形県とつながりのある『羽黒神社』を思い浮かべますが、
どうやら栃木県にも羽黒山と呼ばれる山があるんだそうです。↓
〒321-0402 栃木県宇都宮市今里町
wikipediaからの参照はもう少し続きます。↓
日本各地を旅行し、その地の民謡を創作した。
代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』『よいよい横町』など
とのこと。『日本各地を旅行し、その地の民謡を創作』した活動の一環として、二日市温泉のあの詩が生まれたのかなあ。
それはさておき、雨情に関して更なる詳細を求め、図書館でこんな本を借りてみました。絵本『野口雨情物語』。

雨情の人生を幼少時代から順に語りつつ、時節ごとに生まれた雨情の作品を紹介していく形の絵本。この中に気になった箇所があったんです。
それは、進むべき道を迷っていた雨情が坪内逍遥先生に相談することで希望が湧いてきた時の一節。
一部参照させていただきます。(ありがとうございます)↓
p86 田舎には田舎の良さがあり味深いことばもある。童謡や童話もある。日本には七七七五の歌もある
雨情の勢いと情熱を感じます。七七七五の歌といえば、二日市の詩にも通じますよね!?
さらに、こちらの本『野口雨情100選』も借りて読んでみたんです。

タイトル通り、雨情の名作100選が解説とともに綴られた書籍。まずは一番世に知られている!?であろうこちらの作品『シャボン玉の歌』から。↓
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
この「屋根まで飛んだ」を、屋根の高さまで飛んだという解釈ではなく、シャボン玉と一緒に屋根も飛んだ、と読み解く人がいて、その発想力に惚れ惚れしたことがあります。
他にも名作がたくさんあって、個人的には『あの町この町』がいいなあと思いました。それはこんな作品(参照させていただきます)。↓
あの町この町 日がくれる 日がくれる 今来たこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ お家がだんだん 遠くなる 遠くなる 今来たこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ お空の夕の 星が出る 星が出る 今来たこの道 帰りゃんせ 帰りゃんせ
種田山頭火の「あるけばあるくほど日が沈む」に似た空気感。↓
また、100選の中には博多にまつわる作品が一つ掲載されており、そのタイトルは『博多人形』。↓
もしもし博多の 子供さん 昔博多の お人形様は 可愛いからこの かんかゆってた かんかゆってた もしもし博多の 子供さん 今の博多の お人形様は 赤い西洋のまんと着てる まんと着てる
添えられた解説文によりますと、「からこ」は「唐子」という幼児の髪型を意味し、また「かんか」は髪の幼児語「かんかん」のことなんだそうです。
そして詩の意味としては、博多人形の歴史の変遷をうたったものとのことでした。
では終わります。


