こんなに駅近だと水城的に便利02/02【水城05】

前回の続きです。(→こんなに駅近だと水城的に便利01/02【水城05】

前回から引き続き、福岡県太宰府市にある【水城跡】を訪ねています。

水城というのは、かつての防衛施設である土塁のことで、全長約1.2キロ。その土塁に沿って東から西へ辿ってみようと思ったんです。

水城東端の『水城館』からスタートし、国道を越え西鉄大牟田線を越え↓



そして御笠川を越えて、JR水城駅そばにある【水城土塁断面広場】に辿り着きました。↓

ここまでが前回のあらすじです。では、再開したいと思います。

広場そばに案内板が出ていましたので、さっそく読んでみますよ。↓

水城とは、水を蓄えた濠と土塁からなる城砦。朝鮮半島の百済の都の城壁と同じ土木技術が使われています。

そしてこちらには↓

土塁に関する説明書きがあって↓

読んでみると↓

水城には「版築」「敷粗朶(しきそだ)」といった工法が使われています。「版築」は、板などで外側を囲み棒などで突き固める方法のこと。「敷粗朶」は、火山土の下に木の枝葉を幾層にも挟み込んで、土塁を安定させること。

また↓

工法には他にも、異なる種類の土を使い分けたり、傾斜を作ったりという工夫が見られます。

こちらの板が、断面を示している図。ちなみに火山の土は一番下の部分らしい。↓

土塁の上を見上げると、『水城跡』の石碑があって↓

土塁の右側(内濠側)はこんな感じ。↓

そして土塁の左側(外濠側)には「南福岡自動車学校」があって、日夜教習生が頑張っています。↓

土塁奥は、ちょうど分断されている場所。国道や御笠川で土塁が途切れた場所。

奥まですすんで、水城を振り返るとこんな感じ。途切れています。↓

東を見ると視界が開け、西鉄大牟田線が元気に走り、その上には九州自動車道がクロスしている。土塁の先っぽに木が一本あるのはどういう意味なんだろう。↓

そばに案内板があったので↓

読んでみると、こんな具合。↓

わが国は百済を救援するために兵を送ったけれど、白村江で大敗を喫しました。来襲を恐れて造った防衛施設が水城です。他にも小さな土塁が6ヶ所あって、それは小水城といいます。

こっち側が博多側。つまり外濠側。↓

先ほどの通り沿いへ戻ることにして、隣りにある【ふるさと水城跡公園】を訪ねてみたんだけど↓

なにがあるってわけでもないので、私はベンチに腰かけて、しばらく自動車教習を見学したのだった。↓

次回は、この線路(鹿児島本線)の向こうの西門へ行きます!!↓

ではまた。続きの次回はこちらから!(→ついに西門を通る日がきた01/02【水城06】


【水城土塁断面広場】

福岡県大野城市下大利3丁目2-9