津田一伝流は久留米藩で生まれた剣術の流派【久留米04】

前回の続きです。

前回、長く延びるブリヂストン通りを駆け抜けて、

ようやく久留米城本丸へと足を踏み入れたのでした。

では引き続き今回も楽しんで久留米城散策をしていきたいと思います。↓

冠木御門跡を過ぎると、その先にいくつか碑が並んで立っている。

こちらも説明書きがありましたので、ざっくり読んでみると、

碑はそれぞれ、↓

『西海忠士之碑』『小河真文先生之碑』『戊申役従軍記念碑』『水野正名先生之碑』

だそうです。その立ち並ぶ碑のさらに奥へ入ってみると↓

そこは『太鼓櫓跡』。「冠木御門の左手に位置し三層建てとなっている」との説明書きがありました。↓

では先へ進みましょう。ゆるやかな坂道を歩いていくと、真正面に『篠山神社』の鳥居。

それから城内を左へ進めば、『有馬記念館』があり、

記念館入り口正面には井戸の跡が。こちらは「本丸のお台所の側(南西)に位置する井戸」とのこと。

一方、城内本丸跡を右へ進んだところには、

いい感じのベンチが設置してあり、↓

いきなりどんと『画聖 青木繁碑』が立っています。↓

説明書きをざっと軽く読んでみると、↓

青木繁は旧久留米藩士の長男。幼い頃から画家を志し、『海の幸』を発表。28歳で逝去

とのこと。さらにこの区画には、↓

『巽櫓跡』の碑を確認することができます。説明書きには「巽櫓(巽は東南を指す)。久留米城内最大の櫓で本丸を兼ねている」と記されていました。

では再び城内正面中央へ戻ります。

手水舎があって、↓

『篠山神社』の説明書き。どうして本丸ど真ん中に神社が!?

ざっと軽く読んでみると、↓

古く笹原と呼ばれたこの地に1500年、砦が築かれた。小早川家、田中家と領主が移り、1621年有馬豊氏が入封。藩政が終わると、有馬豊公命、有馬頼永公命をご祭神として篠山神社を創建

ということだそう。で、こちらが拝殿。↓

そこから左を見やると、↓

『東郷記念館』。↓

そばへ寄ってみると、そきには「芭蕉句碑」だとか↓

「茶室千松庵由来記」だとかがあって、↓

それからこちらは、↓

『石人飛級碑』。

『東郷元帥旧書斎由来記』。おや後ろに見えるのは砲弾でしょうか!?↓

『津田一伝流遂退先生之碑』。↓

こちらも説明書きがありましたので、

読んでみると、

「津田一伝流」とは久留米藩で生まれた剣術の流派。師範役津田伝の長男一左衛門が休息のため建てた亭舎が『遂退』

とのこと。『大乗院稲荷神社』。↓

そばに大井戸の跡があって、

それから境内社。

後ろに見えるは筑後川の雄大な流れである。

本丸左奥のところに『乾櫓跡』。こちらは、北西に位置する櫓であると。↓

本丸奥は現在遊歩道としてきれいに整備してあり、そこには歌碑が立っていたり

いい雰囲気。↓

といったところで今回はここまでです。次回も引き続き久留米城を散策していきます。

よろしくお願いします。


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【久留米城】

福岡県久留米市篠山町444