エマックス久留米での思い出だけは秘密にしたい【久留米01】
昨年の12月中頃のこと。体感100万年ぶりくらいに、久留米シティを訪ねましたのでそのお話をしたいです。こんにちは。
せっかくなので、久留米が誇る『久留米城』や『水天宮』といった史跡も訪ねようと思います。
さて「西鉄久留米駅」に降り立つや、そのままJR久留米駅方向へ向かうのではなく、ちと線路沿いを福岡方面へ引き返す感じで歩いていきますか!?いいともー。
結構以前のことにはなりますが、ここ久留米にはいくつかお世話になったお店があって、今回再訪問しちゃおうと思ったわけです。が、
辺りの景色はすっかり様変わり。記憶に架けられた淡い思い出は、ほろほろと崩れ落ちていくのでした。とか言ってたら!
なにあれ!?なんか高架下から私のことを呼んでいる。だから向かってみましたよと。
そばへ寄って読んでみると『からくり儀右衛門 田中久重生誕地』と書いてあります。
入り口のところに説明書きもありましたので、さっそく読んでみると、↓
からくり儀右衛門こと田中久重は寛政11年この地に生誕。発明したもの数知れず。中でも万年自鳴鐘の性能はめを見はるもの。鍋島、有馬藩に仕え才能を発揮。上京し電信灯台用品の礎をつくる
とのこと。知らなかった。こんな立派な人の史跡があったなんて。幾度となく歩いた場所なのに。
(※書籍『福岡県の幕末維新』にも情報がありましたので、
一部参照させていただきます。ありがとうございます)↓
明治6年に東京へ移り、銀座に日本初の民間機械工場『田中商店』を設立。『東芝』の前身である
といったところで、生誕碑をあとに、JR久留米駅方面へ向かって歩きます。
気分が乗ってきましたので、途中で六ツ門アーケード街を抜けていくことに。
ちなみに書籍『古地図で歩く福岡/月刊はかた編集室』によりますと、
ここ六ツ門の地にはかつて十軒屋敷(警備武士の詰所)があって、朝6時に開門、夕方6時に閉門することから、その名がついたとのこと。
レトロ感たっぷりの街中。明治通りを越えていきます。↓
このアーケードも、かつてわりと駆け抜けたことがある懐かしい通り。お久しぶり。↓
昭和の香がまだ漂うアーケードを抜けて、↓
冬の小頭公園へ到着。この界隈にもいくつかお世話になったお店があったんです。皆さんお元気にされてますか。
なんだかしんみりしてきました。さて元気を出してJR久留米駅へ向かいます。え!?待って?
道路の真ん中に誰か立ってる!危ない!きけんきけん。しかも、のけぞっている!!↓
色々あるけど、みんな色々あるんだよ!とか言ってたらそばに説明書き。↓
さっそく読んでみると↓
バルザック記念像。フランス世俗を掻きあげた19世紀の小説家。バルザック記念像はロダンの意欲作
ロダンの意欲作がなぜ、久留米の大通りのド真ん中に立っているのか。それは誰にも分からないのであった。完。
っていうか、JR久留米駅に向かうのにこの道で合ってます!?だいじょうぶそ!?
続きは次回に!よろしくお願いします。
【PR】福岡藩の幕末維新
【田中久重翁生誕地】
福岡県久留米市通町113-16