ビルとビルの隙間を覗いてみると【中洲國廣稲荷神社】

つい先日のこと。

「那珂川」にかかる「西中島橋」へと向かって福岡市博多区界隈を歩いていると、とある通りのビルの隙間に鳥居が立っているのを見つけたんです。

その鳥居は確かに立ってはいるんだけど、むしろ挟まれてるみたいな囲まれているみたいな、なんだか気になるスタイル。そして隣りではガンガンに工事をやっている。

通りの名前は『中洲中央通り』といって、その通り沿いに真っ赤な鳥居が奥へ連なっているという形です。そして鳥居の先は、つまり参道になっているわけで、↓

ちなみに参道をこのまま真っ直ぐ突き抜けると、そこには「博多川」が流れ、そして『博多川通り』が目の前を横切るという形になっています。さらに↓

 

通りを越えて「博多川」を渡った先には、巨大商業施設『博多リバレイン』があり、その脇のところには、↓

『鏡天満宮』(↑)が鎮座しています。そんな中洲の街の一角でのお話です。↓

では参道へ戻りましょう。参道を突き抜ける手前のところに案内板があったので、さっそく読んでみますね。↓

江戸後期、黒田藩は財政立て直しを計って、中島浜新地(現中島町付近)に歓楽地帯を設置。那珂川寄りの地をを騎馬地とし、周囲に桜等を植え茶屋をつくりました。

これが、「中洲岡新地」つまり現在の中洲町のはじまり

なるほど。中洲という街は自然発生的に勝手に出来たんじゃなくて、藩主導で作られた歓楽街だったと。

続きます↓

中洲岡新地の繁栄にともない、天保5年(1834年)小さな社であった『中洲稲荷神社』は改装されて【中洲國廣稲荷神社】へ。

立派な神殿や石灯籠が寄進され、樹木に囲まれた境内には地元有志や芸妓の名を彫った玉垣もできたのでした。

そして中洲の神様として、今日にいたる

とありました。ご祭神は「倉稲魂命(うかのみたま)」「宇迦之御魂神」で、こちらが「倉稲魂命」。↓

由来からも分かる通り、商売繁盛の神様として大切にされ、ここ中洲という華やかな土地の守り神であるとのこと。こちらは社殿。↓

また、博多山笠の季節には「中洲流」の集合場所になっているそうで、さらに、毎年10月に行われる『中洲祭』では「國廣女みこし」のスタート地点でもあるのだとか。

500人もの中洲の女性がこの地に集い、そして中洲の街を練り歩くという伝説の「國廣女みこし」。

もしもこの小さな境内に500人集合だったら、ぎゅうぎゅうどころの騒ぎではないだろう。


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【中洲國廣稲荷神社】

福岡市博多区中洲5-6-28