子院なの!?はたまた武士の居館跡なの!?【太宰府金光寺跡】
前回の続きです。↓
前回、福岡県太宰府市を流れる御笠川沿いを歩いていると↓
少し離れたところに『朝日地蔵尊』があって↓
そこからさらに進んだところに↓
『横岳崇福寺跡(法堂跡)』を訪ねました。これがあらすじです。こんにちは。↓
『横岳崇福寺跡(法堂跡)』を訪ねた後も、
なんとなく近辺をウロウロしていると↓
ふと案内板を見つけたんです。見てみるとこの近くに↓
【金光寺跡】なる場所があるみたい。↓
せっかくですし、訪ねてみたいな!?である。↓
通りの角にも案内板が出ていて↓
ここを左へ入っていきます。↓
こちらが【推定/金光寺跡】とのこと。推定だって。↓
しっかり読んでみると『観世音寺境内及び子院跡』とも記してある。え頭が混乱。
観世音寺?↓
(※以前、観世音寺を訪ねたお話はこちらで!↓)
とにかく、中へ入ってみることにします。↓
敷地はなかなかの広さで↓
説明書きがありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
貝原益軒の『筑前国続風土記』には、観世音寺の子院として40院の名が記されていて、その中に『金光寺』の名も。中央の広場を中心として建物が整然と配置されています。建物間の往来には通路を設け、建物の周囲には「雨落溝」が巡っている
また↓
礎石建物に伴って石塔群・火葬処が近接した場所に造営され、墓処に対する礼拝堂的性格を帯びた建物もある
そして↓
遺跡の性格については、観世音寺子院の一つ【金光寺】だとする見方が有力だけど、武士の居館跡だという説も
この遺構図によると↓
この小高いところが火葬処ということでしょうか。↓
上ってみると、そこは東屋みたいになっており↓
上から見る寺院跡は、なかなかいい感じでした。↓
つまり、ここは観世音寺の境内であり、観世音寺の子院40のうちの一つである【金光寺】があった跡だと推定されていますよ!?ということ?のようです!?
あいまいな感じで【金光寺跡】をあとにして、
その後も周囲をあっちへこっちへと立ち寄ったりしながら↓
『観世音寺』と『戒壇院』の間の道を通りぬけて、帰宅の途についたのだけど↓
どこを色々と立ち寄っていたのかのお話は、
是非次回にお話したいと思います。よろしくお願いします。↓
【太宰府金光寺跡】
福岡県太宰府市観世音寺6丁目9-2