米軍板付飛行場春日原住宅地区【春日原白木原界隈02】
前回に続きます。
かつて春日公園界隈に存在したという米軍春日ベースの姿を辿るべく、地図を片手に、今の姿と照らし合わせながらブラブラ散策してきました。
そして春日自衛隊基地から春日駅までたどり着いたというのが、前回のあらすじです。
引き続きここから線路を辿って、かつての米軍基地ベース端にあたる箇所を歩いていくわけですが、ちょっと待って!!チョトマテクタサイ。
そういえば!!令和4年に大野城ふるさと館で開催された『春日原ベース』の展示を見学していたことを思い出したんです!!
そこで、その時に記されていた館長ごあいさつの一文より、
一部参照させていただきます。ありがとうございます。それはこんな具合。↓
JR大野城駅西側一帯は戦後すぐアメリカ軍板付遺跡春日原住宅地区が設置。ここに板付飛行場に勤務する米軍家族が居住。昭和47年に基地が返還されるまで日本人も含めると1万人以上が居住する基地の町でした
展示イベントでは他にも映画館や司令部の写真も展示してありました。すっかり忘れてた。さ・ら・に!!聞いてください。
今年の1月に春日図書館を訪ねた際、ここでも春日原ベースの展示が開催されていたんです。
写真とともに当時を振り返る展示内容でしたが、残念ながら撮影禁止。そこで、私が必死にメモった情報をみんなにシェアします。例えば、↓
米軍基地の返還後は、春日市役所・春日公園・クローバープラザ・航空自衛隊春日基地・九州大学・春日の小学校・春日の中学校・春日高校になっている
だとか、↓
春日原ベース正面。米軍接収前は、旧陸軍造兵厩春日製造所北門として使用されていた
はたまた、↓
小倉陸軍造兵厩春日製造所。戦前は春日原競馬場があった。造兵所解体時に出た建築資材は、戦後春日原商店街を建てる際に使用された
だとか。春日図書館内の一角にて、春日界隈における戦前戦後の移り変わりが詳細に記されていました。
では散策に戻ります。
しばらく線路沿いを進み、春日公園前の踏切を通り過ぎます。
振り返るとこんな景色。向こうにJR春日駅がかすかに見えています。↓
それからさらに進んで春日公園の端まで辿り着きました。
こちら側にも踏切があります。公園前踏切。↓
さて。
ここで、春日原ベース時代の地図を、書き込みとともに今一度確認しておきましょう。↓
この春日公園前の踏切がある横断歩道を真っ直ぐ進んだ先に、春日原ベースの『東門』があったということらしく、
また向かって右の区画には、米軍基地の『兵士用宿舎』が広がっていたようです。牛頸川の先を見やると、現在はハローワーク福岡南の姿が見えています。↓
では再び散策です。ここから米軍ベース『東門』の現在の姿を目指して歩こうと思います。が、そのお話の続きは次回に。
よろしくお願いします。
【春日公園】
福岡県春日市原町3丁目