それは春の匂いかも【三光橋/福徳稲荷神社】
少し前のお話をしたいです。こんにちは。
春がようやく来たなっていうくらいの時期に、私は福岡市中央区の国体道路をなんとなく歩いていたんです。↓
通りを横切る薬院新川には橋が架かっていて↓
そのまま川の流れに沿って北へ進むと↓
天神中央公園がある。そんな場所でのお話。
この川に架かる橋の名前は「さんこうばし」。漢字で書くと三光橋というらしく、三の光なんだけども!?
どういう意味ですか。三つの光とは!?きらーん。
とにかく橋の名前の由来が気になりましたので、早速調べてみたんです。橋の名は!!
すると書籍『古地図で歩く福岡』にこんな記述がありました。
(引用させていただきました。ありがとうございます)↓
江戸時代には、福岡の城下町の出入り口である「数馬門」があり、城の大濠に水を調整するための3つの川の河口が交差する場所であった。三口橋より由来するとも
では交差する3つの川とはどの川を指すのかな。
薬院新川(四十川)でしょう?そして那珂川?と!?あとは!?なんだろう。分かりません。
それはさておき、お話の続きです。橋を渡ってもそのまま、私は気分にまかせて東へとぶらぶら歩いていたら↓
春吉交差点から北へ入ったところに、ザ・朱って感じの小さな神社を発見したのであった。
こちらは【福徳稲荷神社】というのだそうで
さっそく由来書きを読んでみるとこんな具合。↓
1759年にお祀りが執り行われ奉納される。当時この一帯は新開地として開発されていたと考えられることから、有志による三神社合祀の原型が形作られました
そして↓
先の大戦でも戦火に見舞われることなく、街は守られたのでした
また↓
菅原神社は道真公がご祭神。左遷され博多に上陸された道真公。薬院新川(四十川)にて川面に映る自身の姿に涙したというお話があります。その本流が那珂川であることも御縁でしょう
ちなみに三社のうち残るもう一社は「秋葉神社」とのこと。
この一帯はもう中洲地区であるし、つまり商売繁盛的なつながりがあるのかもしれないですね。
とにもかくにも、ぼんやりした春の一日。終わります。
【福徳稲荷神社】
福岡市中央区西中洲1