柔道の父。日本の体育の父。【春日市役所前】
先日、図書館で借りた書籍『春日原地区歴史散歩/赤司忠雄著』を読んでいたところ、

春日市役所の敷地内に『柔道大会の碑』があるというお話が書いてあったんです。
はぁ!?柔道大会!?いったい世界でなにが起きているんですか!!さっそく書籍よりざっくり参照させていただきます。(ありがとうございます)↓
昭和11年にかつての春日原野球場を会場に、全国を東西二分にして開催された『全日本柔道東西対抗大試合』。
開催を記念した碑はかつての春日原野球場入り口に立てられました
とのこと。碑が立てられたのは春日原北町3丁目で、ここにかつて春日原野球場があったということ。(春日原北町3丁目の地図)↓
(※この3丁目界隈は以前、春日原野球場の場所を求めて実際に訪ね歩いてみたことがあります。そのお話はこちらで!↓)
碑のお話は続きます。↓
のち昭和30年に、春日原野球場・陸上競技兼ラグビー場は福岡市平和台に全面移転。記念碑はそのままの位置に据え置かれ(春日原北町3丁目)、一角は春日原公民館の敷地に。
それから昭和55年に公民館は春日南町4丁目に移転。跡地は駐輪場になり、碑はそのままに
春日原南町4丁目はこの辺り。↓
参照はもう少し続きます。↓
少し時をさかのぼった昭和44年に米軍春日原基地返還式が行われ、春日市役所が新築されることになりました。
平成4年、記念碑は原町3丁目の新築春日市役所議会棟東側植え込みに中に移設されました
といった具合。こちら新春日原市役所周辺の地図。↓
ちなみに、↓
この記念碑の題字を揮毫したのは講道館初代館長の嘉納治五郎。姿三四郎のモデルといわれます
だそうです。柔道についてはさっぱり分かりませんので、wikipediaより、嘉納治五郎氏について(ざっくり)参照させていただくと、↓
講道館柔道の創始者。柔道の父、日本の体育の父。柳宗悦の母は治五郎の姉。東京大学同期卒業生には森鴎外もおり、その小説『雁』の登場人物「石原」のモデルは嘉納という説もある。
幕府最後の講武所師範で天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。講道館を設立。氷川丸船内で肺炎により死去
ではその碑を実際に見に行ってみましょう。

JR春日駅からのびるJR鹿児島本線の線路の前には、

春日公園が広がっており、↓

通りを挟んだ向かい側に現在の春日市役所がある。

この界隈は、かつて米軍春日原地区ベース(跡地)で、以前に一人ウロウロ歩いてみたこともあります。(ベース基地のお話はこちらで!↓)
おやおや市役所敷地内に案内地図がありましたので、大まかな位置を確認しておきましょう。

三春滝桜。↓

市役所入り口前にはアート作品「飛行記憶」。

では碑を探しに議会棟東側へ向かってみます。

すると駐車場そばの茂みの中に

こっそり立っている碑をばっちり見つけちゃいました。

人目を引かなさそうな碑だと思うけど、こうして色んな変遷を経て立っていると知ってしまうと、

しみじみした気持ちがじんわり湧いてくるのでした。やー、一本背負いだ!終わり。
【春日市役所】
福岡県春日市原町3丁目1-5

