長塚節は梵鐘を心待ちにし八度も訪問したと【長塚節歌碑】
先日、富永朝堂旧宅を訪ねるべく、大宰府政庁へと向かったお話をしました。
その日は結局分からずじまいで帰途につき、あらためて界隈の地図を確認してみたんです。そしたら、

観世音寺の敷地内に、長塚節歌碑と記してあるのを見つけたのでした。こんにちは。

観世音寺は以前に訪ねたことがあるんだけど、(※訪ねた時のお話はこちら↓)
歌碑なんて見覚えがありませんよ!?
いつも訪ねる時には、梵鐘がレンタル先から返ってきているのか、そのことばかり気になっていましたので、
歌碑についてはすっかり見落としていたのかもしれません。(※観世音寺の梵鐘についてはこちらで!↓)
いや待てよ。これって虫のしらせかも!?ひょっとして久しぶりにあの鐘、返ってきてたりするんじゃん!?早くお帰りって言いに行かなきゃ!

というわけで、梵鐘の確認ついでに観世音寺を再訪門してみることにしました。そのお話です。

入り口から真っ直ぐのびる並木道を歩いていきます。

左手には、

雰囲気の良い建物とお庭があって、

右へと進めば、

観世音寺の梵鐘があるわけなんだけど、

あるかなあるかな!?

だいたい察していましたYO!!

とりあえず記念に写真でも撮っておいて、そのままぐるり境内を歩いてみます。

ところで、肝心の歌碑はどこにあるんだろう。こちらは「木槵樹」と記してあって、↓

「数珠の玉に用いられ、念仏百万遍を唱うれば、往生の本願疑いなしといわれる」のだそう。

それからこちらは、重要美術品「碾磑(てんがい)天平石臼」とあります。歌碑じゃないよ。

辺りをぐるっと廻ってみても見つからず。

もしかしてさっきのお庭にあったりしちゃう?そこでさっそくお邪魔してみると、

敷地端のところに見つけました。長塚節歌碑。

残念ながらなんと書いてあるのか分かりません。でも安心してください!?

実はこっそり持ち帰っていた、太宰府ふれあい館で配布されていた解説シートに!長塚節及び歌碑について、しっかりばっちり書いてあるんですから!

さっそく参照させていただくと、↓
手を当てて 鐘はたふとき 冷たさに 爪叩き聴く そのかそけきを。明治時代の歌人・小説家長塚節。この歌は37歳で亡くなる2ヶ月前に詠んだ絶唱
これは観世音寺の梵鐘について詠った歌碑であると。では長塚節氏とはいったいどんな人物だったのか。引き続き解説シートから参照させていただきます。↓
茨城県の豪農一家に生まれた節。新聞に神童を紹介されたほどの人物でした。正岡子規に深い感銘を受け、東京に子規を訪ねて、2年半学ぶ。子規が節に詠んだ歌がこちら→「下ふさの たかし来れり これの子は 蜂屋大柿 吾にくれし子」
続きます。↓
節は夏目漱石の推薦で小説「土」を朝日新聞に連載。結核の診断を受け、漱石の紹介状を携え九州帝国大学医科大学へ。観世音寺へは8度も訪問。節が梵鐘との再会を心待ちにしていた様子が受け取れます
梵鐘を心待ちにしていた節!!!続きます。↓
大正4年、九大病院にて最期の時を迎えることに
とありました。ああ紅葉がまぶしい。終わり。
【長塚節歌碑】
福岡県太宰府市観世音寺5丁目6


