さくらの森は4.4ヘクタールの広さだ【四王寺山展望所01】

これまで幾度となく、福岡県糟屋郡宇美町が誇る【四王寺山】登山を楽しんできたわけですが!↓

今回は、登山ではなく軽い散策を嗜みながら、この伝説の山をゴン攻めしたいと思います。こんにちは。↓

それではさっそく、福岡県大野城市の乙金地区にある『乙金総合運動公園』から散策スタートです。今回は、敷地内の左端からのびる林道を辿っていくことにします。↓

こちらのゲートを抜けていきますよ。↓

正式名称は「さくらの森経由大城ルート」。↓

「鳥獣保護区」の案内。↓

ゲートからわりとすぐのところから『さくらの森』が広がっており、↓

ここはその『さくらの森』の中の、「藤棚広場」という区画。↓

そばに案内板がありましたので↓

さっそく読んでみたいと思います。↓

小野城グリーントラスト さくらの森。昭和58年に記念事業の一環としてソメイヨシノなど約2500本が植えられました。四王寺山麓のサクラ樹林

記念事業とはなんの記念事業なのでしょう。『さくらの森』の全体図。↓

さらにこちらにも案内板が立っていますので、↓

読んでみますね。↓

『さくらの森』は広さ4.4ヘクタール。四王寺山麓の「県民の森」に隣接する森。昭和58から59年にかけてソメイヨシノなどが植樹され、遊歩道にはツツジ。展望スポットの東屋もあります

説明書きに添えられた絵図。↓

そして『四王寺県民の森案内図』。こちらをちょっと見て頂きたい。↓

今回の散策の一番の目的は、以前の登山時にパスしてしまった「展望所」を訪ねてみようというもの。案内図に見える「遊歩道B」を経由して「展望所」へ向かうことになります。

で、その「遊歩道B」へ行くには、それぞれ「遊歩道A」「遊歩道C」「遊歩道D」「遊歩道E」「遊歩道F」という5通りの道筋があるらしい、図によれば。

そこで、特に理由があるわけではないけど、なんとなく今回は「遊歩道D」を歩き、それから「遊歩道B」へ入っていくことにします。さて、↓

「遊歩道D」へ向かうその前に!ちょっと待った!待ってくれ!そばの通り沿いに『大野城』に関する説明書きがありましたので、↓

こちらを読んで下準備しておきましょう。↓

四王寺山(大城山)のおおむね標高100m以上の区域は特別史跡『大野城跡』。斉明天皇6年、朝鮮半島では倭(日本)の友好国百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされました。日本は救うため大軍を派遣しましたが、白村江の戦いで大敗、撤退

続きます。↓

以降、唐・新羅の来襲に備えて天智天皇3年に水城を築き、翌年には百済亡命貴族の礼福留、四比福夫に大野城と基肄城を築かせました。大野城は尾根には土塁を、谷には石垣を築きました。土塁の南北両側は二重になっていて、総延長8キロ以上に及びます

もう少し続きます。↓

城内には倉庫などの建物や井戸が造られました。建物は70棟以上が確認されています。百済の山城がモデルになっているため「朝鮮式山城」と呼ばれています。四王寺山の名前の由来は、宝亀5年、仏教の力で新羅を降伏させようとして、大野城内に四天王を祀る寺を建てたことからである

とのこと。ではさっそく「遊歩道D」へ向かって歩くわけですが、少しお話が長くなりましたので、続きは次回に!よろしくお願いします。


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【四王寺県民の森展望所】

福岡県大野城市乙金