唐津街道(一部)を辿ってみた03【五所八幡宮】
前回の続きです。↓
まず前々回に唐津街道を辿ろうと思い立ち、福岡県古賀市の青柳町へやってきました。
この青柳町にはかつて『青柳宿』があり、私はこの地をスタート地点に設定したんです。
そして前回、宿場町に漂う古の香りを嗅ぎながら『青柳宿』を後にしたのだった。
それでは今回も引き続き唐津街道を辿ります。次の目的地は『箱崎宿』。
『青柳宿』西構口から青柳小学校を過ぎると
通り右側に石碑が立っていたので、ちょっと寄ってみると
その石碑には『青柳高等小学校跡』と記してあって
最寄のバス停の名前は『宮前』。↓
そして通りの両側に跨って神社が鎮座。【五所八幡宮】の看板。
気になります。まずは通りを渡って右へ向かい↓
それから今度は↓
一の鳥居をくぐって境内へ。
扁額には『五所八幡宮』とあって↓
参道を進むと↓
入り口のところに案内書と境内図がありました。↓
さっそく読んでみると↓
建立年代は不詳。1700年前に神功皇后が三韓征伐の際、龍(?)を休められたところと伝えられます。ご祭神は「応神天皇」「神功皇后」「玉依姫」「保食神」「住吉三神」。糟屋・宗像三郡の総社
続きます。↓
境内には樹齢1000年を越える楠の木や樫の木の大樹
1000年はすごい。それでは境内へ。
静かで涼やか。
鎮守の杜の「珍樹の森マップ」。ふーん。↓
巨木が立ち並びます。
幸せを授かるムーミンの木。
手水舎。↓
ようやっと階段を上り終えると↓
社務所そして↓
社殿。↓
由緒書き。↓
読んでみると↓
聖地に五社の神々が鎮まります。故に五所八幡宮。五穀豊穣・住民寿康を祈願した由緒ある八幡宮。延元の時代に兵火にあい、ほとんどが焼失。戦国時代に立花道雪が寄社殿を造営寄進するも、島津の大軍いより跡形もなくなる。黒田藩は参勤交代の都度、必ず社参。二代忠之が社殿、六代継高は神殿を、十一代斉溥は拝殿を造営寄進
とのこと。ご神木。↓
狛犬。↓
拝殿。↓
ちょっと失礼します。↓
本殿。↓
社殿裏には境内社。↓
「恵比寿神社」↓
「今宮神社・痰神社」↓
「彦神社」↓
「愛宕神社」↓
さらに奥へ向かうと↓
『松亀稲荷神社』が鎮座。↓
巨木が立ち並ぶ深い森の中。
澄んだ空気で、すっかりリフレッシュできました。
それではいざ!
黒田藩の参勤交代気分で。
次回は再びロードへ戻ります!↓
【五所神社】
福岡県古賀市青柳1687-1