薩摩揚がマドレーヌという人もいる【失われた時を求めて】
ふと、懐かしい匂いがどこからともなく漂ってきて、
その匂いを嗅いだ瞬間、胸がつーーんと締め付けられたのであった。こんにちは。
懐かしい匂いなんだけど、なんの匂いだか思い出せません。
しばらく匂いと記憶を反芻し、必死の思いで捻りだしてみたら、それは大昔に通っていた幼稚園の体育館の匂いのような気がします。
そこから記憶がふわっと甦ってきて、跳び箱が飛べなかったこととか、体育館の木のササクレが手のひらに刺さったこととか。
そんな余計な記憶が溢れだし、声にならない声が漏れるばかり。嬉しいような悲しいような。そんな体験が10年に1回くらいありませんか。匂いで記憶が呼び覚まされる感覚。
こういう現象にはしっかり名前があって、【プルースト効果】というそうなんです。それはいったいどういうものなのか。
詳細をwikipedia『マルセル・プルースト』の項から参照したいと思います。↓
マルセル・プルーストは、フランスの小説家。『失われた時を求めて』は20世紀西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられています。
ある匂いを嗅ぐとその関連した記憶が思い出されることを、紅茶に浸したマドレーヌの匂いから物語が展開していく本作品から、「プルースト効果」と呼ばれています
とのこと。言いたいことがここに全て書かれていますよ。サンキュー、マルセル・プルーストさん。
さっそく図書館へ駈け込んで、このマルセル・プルースト著『失われた時を求めて』を借りてきたはいいものの、
厚い本はなんだか読む気がしないしなあ、面白そうだけど集中力が持たないんだよなあ。という状況を鑑みて、今回は、先述にあったマドレーヌのお話の箇所だけを読んでみました。
こちらの本で言うと25ページから始まる『4章 紅茶とマドレーヌ』のお話。前も後ろも読んでません!!お願いします。↓
寒い日に家に帰ると母がぼくに紅茶をすすめる。いらないと思ったけど気が変わってもらうことにした。女中がマドレーヌと紅茶を持ってきた。
マドレーヌを紅茶に浸して口にいれた瞬間、ぼくは震えはじめたのだった。体に変化が起こった。喜びが広がった。紅茶が僕の中の真実を呼び覚ました。記憶がはっきり姿をあらわした。記憶はずるずるとあふれ出てきた
これがのちに「プルースト効果」と呼ばれるストーリー。
私自身の経験で語ってみますと、まず匂いに引っかかる。あれ、なんだか懐かしい匂い。それがすぐさま、自分にとって特別な匂いだと感じ始めて、
記憶を探し始めます。そして過去の特定の条件と結びつくや、うわ、わ、わ、わ、わ、となんとも言えない感情が沸き上がる感じ。生の感情っていうんですか。そういうのを計らずしもぎゅっと掴んでしまった感。
こうして匂いに導かれ、奇跡的に呼び覚まされた記憶も、またそのうち忘却の彼方へ。そんなこともままあったり。記憶って不思議ですね。
次はどんな黒歴史が呼び起こされるのか。怖いようで楽しみでもあるかも。
向田邦子さんのエッセイには、自身にとってのマドレーヌは薩摩揚である、なんて一節もありました。終わり。
【失われた時を求めて 全一冊 マルセル・プルースト/ 角田光代・芳川泰久 編訳(新潮モダン・クラシックス)】