義を立て誠を貫く【小説立花宗茂(上下)/童門冬二】
以前古賀市を訪ねた時、「みあけ史跡公園」そばの壁に、
古賀の歴史を描いた一大スペクタクル絵巻が貼り付けてあって、

そこに立花道雪(立花宗茂の義父)がちらり登場していました。
また、立花宗茂の実父である高橋紹運が玉砕した、
四王寺山中腹の「岩屋城」を訪ねたお話をしたこともあります。

今回、立花宗茂の伝記小説『小説立花宗茂/童門冬二』を読んでみましたので、そのお話をしたいです。

では気になる箇所をピックアップしながら(ありがとうございます)、見ていくことにします。まずは誕生から。↓
幼名は千熊丸。元服して高橋家の仕える大友義統から一字名をもらって統虎と名乗ります(p39)
そして実父については↓
宝満・岩屋両城の督を務めていた高橋鎮種(紹運)。紹運は大友三老のひとり吉弘(高橋)鑑理の息子
とのこと。のちに高橋紹運ほか七百数十人の城兵が全員壮烈な最期をとげることになる岩屋城は四王寺山の中腹にあり、
その四王寺山から北を見ると、コブが三つ並んだ山が見える。これが立花山。
立花城は大友勢にとって博多支配のための拠点であった(p59)
この立花城へはのちに宗茂が入城することになります。さて勢いのあった大友宗麟ですが、
腹心に次々と背かれることになり、味方は立花宗茂の実父高橋紹運と舅である立花道雪のみといってもいいほどに。
そんな中、九州制覇をめざし島津軍が北上し、大友家は徐々に追いつめられていきます(p110)
ここでちょっとお話は変わって、お色という女性の話題がのぼります。
宗像家と立花家の和睦の証として立花道雪の側室になったお色。そう、この女性は、
以前唐津街道を歩いた時に、お墓を訪ねた、あの色姫なのだ!

色姫(お色)の詳細についてはこちらの記事を是非!↓
ちょっとした風邪がもとで最期を迎えた色姫(お色)のために、立花宗茂は竹籠院を建てたのでした。
ではメインストーリーに戻ります。
立花道雪が亡くなり、それから大友宗麟は豊臣秀吉に臣従することに。その一方で薩摩島津軍と連合軍は筑前南部に侵入。
彼らが狙うは岩屋城、宝満城、立花城
高橋紹運は非戦闘員を宝満城へ移動させ、自らは岩屋城にこもる作戦に出るも、
島津軍は岩屋城へ攻め込み、紹運は自刃。岩屋城は陥落(p183)
さらに宝満城も落ち、両城は秋月種実の手に。つまり残るは立花城の立花宗茂のみというわけです。
島津軍は太宰府の本陣から香椎に進む中、付近一帯の寺社村落のことごとくを焼き払い、香椎宮もすべて焼失。
(※香椎宮のお話はこちらの記事で!↓)
豊臣軍が九州へ向かうと、島津軍は博多へ寄って町を焼き払い、薩摩へ戻るのでした。
さて立花宗茂はというと、高取居城を攻め落とします(p219)。
(※高取(鳥)居城のお話はこちらでも↓)
この高取居城(須恵町)は、
島津に味方する星野吉実と弟の吉兼兄弟が城将として入っていた場所でしたが、落城。宗茂は兄弟を埋葬し、吉塚と名付けたのでした
それから岩屋城を落とし宝満城も落とします。

(※吉塚のお話はこちらの記事で↓)
ようやく九州に入った秀吉は秋月を攻め降伏させるわけですが、その時に手に入れたのが天下の名器「楢柴」の壺。
(※楢柴のお話はこちらの記事でも!↓)
この「楢柴」は、もともと博多の豪商島井宗室がもっていたものを秋月種実が奪い取ったもの。
秀吉は鹿児島へ向かい、島津は降伏。宗茂は居城として筑後柳河城を定められることになりました。

立花城には小早川隆景が入ることに。(※小早川隆景のお話はこちらでも!↓)
立花宗茂は秀吉の朝鮮出兵に参加、関ヶ原の戦いでは西軍の石田三成につきます。
鍋島軍の攻撃を迎え撃つも、結局立花宗茂は加藤清正に対して降伏。そして
柳河城を明け渡すことに
行く場所を失った宗茂は肥後熊本城の居候に。のち京で仮住まいをしたあと、江戸へ向かうのでした。
江戸では徳川秀忠公のお相伴衆となる。それから奥州棚倉へ赴任し、大坂の陣では参謀として参戦します。
そしてなんの運命か!!↓
柳河城主に戻ることに。20年ぶりの帰還
のち宗茂は隠居し、76歳でこの世を去るのでした。完。
立花宗茂を軸に、岩屋城の戦いや星野兄弟との戦いなど手に汗にぎる迫力の筆致で読むことができました。終わり。







