筑紫の坊主と呼ばれて【西日本人物誌 神屋宗湛/武野要子著】

書籍『西日本人物誌 神屋宗湛/武野要子著』を読みましたので、今回はそのお話をしたいです。

いつものように気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、神屋宗湛について学んでいきたいと思います。よろしくお願いします。

ではさっそく始めます。まず神屋宗湛のあらましについて書籍後半部からざっくり参照させていただくと、↓

宗湛の先祖は勘合貿易家として鳴らした有名な貿易商であった。天下統一者秀吉と結び、天下の豪商の椅子を手にすることができた

また、↓

宗湛とその一族は、博多を根城に経営に励み蓄財した博多津の町衆であった。貿易都市博多とその富が秀吉のブレーンの注目を浴び、博多が海外侵略の兵站基地になった。こうした条件もあり、宗湛はなるべくして天下の町人になった

とあって、つまりそれはそのまま、↓

豊臣政権の終焉が宗湛の終焉でもあった(p201)

ということになるようです。

 

それでは書籍1ページ目に戻って、神屋宗湛の生涯をあらためて見ていくことにします。

神屋宗湛は博多三傑の一人。三傑とは神屋宗湛・嶋井宗室・大賀宗九のことをさします(「はじめに」より)

宗湛の先祖を振り返ると、↓

勘合船の総船頭神屋主計の父である永富の、その兄弟といわれる神屋寿禎は、したたかで多彩な商略を秘めた海の男であったと思われます(p79)

その神屋寿禎は、↓

銀山を堀り筑前博多に運んで巨富を得ました

わが国では、↓

1542年ころより朝鮮・中国への銀の輸出が増えました。神屋一族は石見銀をひっさげて神屋船の経営に乗り出したのでした(p84)

そして、この石見銀とのかかわりこそが、

博多の長老として名声を保ち続け、秀吉に、博多を代表する町人の一人として神屋宋たんが指名された由縁でもあった(p85)

とのこと。神屋宗湛は↓

1553年の生まれといわれるも、詳細は分かっていません。34歳の時に唐津に住んでいたことだけは確かである(p92)

ちなみに宗湛7歳の時というのは、

博多の町は筑紫惟門によって全焼され、その6年後には大友と毛利の激闘が繰り広げられた

そんな時代。その後、博多は急激に復興するも、

竜造寺氏により再び博多は丸焼けになるのでした(p93)

当時の神屋家はというと、

筑前を代表する巨商として安泰であったよう。神屋家は上松浦の地に着目し、この地を営業の根拠にします

そこで宗湛は商人としての修行にはげみ、また茶の湯の手ほどきもうけます。そして、

1586年、宗湛は唐津村を出て上洛。京都では古渓和尚と対面し、剃髪出家します(p101)

また、1587年には、

秀吉の大阪城大茶の湯会に参加。秀吉から「筑紫の坊主」の愛称で呼ばれる

この茶の湯の場は、秀吉が博多町人宗湛を自分の傘下に置く初顔合わせの場でもあった。それは、

朝鮮侵略の兵站基地として博多が最適であり、地元の指導的町人が必要だった(p136)

ということ。また、

宗湛は嶋井宗室とともに小早川隆景から命令を受け、名島城下町屋の建設を命じられる。さらに兵糧米を貯えるように秀吉の命令を受ける

こういう具合に、

宗湛は兵站部を担当する一方、茶人として多くの茶会に出席。箱崎で宗及の茶会があった翌日には千利休の茶会が開かれ、宗湛、宗室、宗仁が招かれた

また宗湛は箱崎で秀吉を正客として茶会を催しています。それから、

小早川隆景の名島城普請見舞いに、宗湛は妙見島と名島の間の浜に向かい隆景に酒を勧め、妙見島で隆景は茶会を開きました

(※小早川隆景そして名島のお話はこちらでも!↓)

名島海岸のプレートには、↓

こんなお話が。↓

妙見島は小早川隆景公が在城のとき、神屋宗湛が茶会をもうけ隆景公を饗したと宗湛日記に記している

とのこと。それから、↓

古渓和尚の大同庵での茶会に宗湛は招かれました。宗湛は嶋井宗室とともに庵を築き、大同庵と名付け和尚を住まわせたのです

(※大同庵についてはこちらの記事も!↓)

大同庵跡。↓

大同庵そばの電柱には、↓

こんなお話が記されていました。↓

古渓和尚は石田三成との衝突がきっかけで秀吉の勘気に触れ、博多に配流された

宗湛は名護屋城でも連日茶会に出たわけですが、それは↓

交歓の場は取り引きの場を兼ねていた

とのことだそう。のち、

秀吉の死と関ヶ原の戦い、豊臣家の滅亡。宗湛は盛りを過ぎた商人となってしまいました

そして1635年、宗湛は亡くなります。お墓は博多区御供所町の妙楽寺。

(※妙楽寺についてはこちらの記事も!↓)

宗湛のお墓。↓

ちなみに、↓

昭和初期の天神町は伊藤伝右衛門の赤銅御殿と玄洋社の平岡こうたろう邸が相対し、平岡邸の中には宗湛茶屋があったが、昭和20年の大空襲で焼失

なのだそうです。(※伊藤伝右衛門についてはこちらの記事も!↓)

赤銅御殿跡界隈。↓

(※神屋宗湛屋敷跡についてはこちらの記事も!↓)

宗湛の屋敷跡界隈。↓

そばの説明書きには、↓

こうありました。

莫大な富を築いた神屋宗湛は織豊時代に活躍した代表的な博多商人。秀吉に厚遇された宗湛は広大な屋敷地と町役免除の特権を与えられました

終わり。

(※書籍「西日本人物誌 神屋宗湛/武野要子著」より参照させていただきました)