首が落ちたり胴が落ちたり【菊池霊社(首塚)】

前回、私は【菊池神社】を福岡市城南区に訪ねました。(→首が落ちたり胴が落ちたり【菊池神社(胴塚)】)↓

その【菊池神社】には南北朝時代の肥後の武将である菊池武時の「胴」が祀られていたわけですが、今回は彼の「首」が祀られているという、中央区六本松の【菊池霊社】を訪ねてみたいと思います。↓

前回にもお話した通り、菊池武時は後醍醐天皇の綸旨をうけて打倒鎌倉幕府を掲げ、1333年に博多の鎮西探題を攻めますが、少弐・大友の離反や反撃にあって敗死してしまいます。

そしてその武時(亡骸)は、馬に乗ったまま首を落としたり胴を落としたりしながら福岡シティを駆け抜けた!という言い伝えがあるんです。



別府橋通りの向こうに見えるのは【護国神社】。つまり、反対側のこっちが【菊池霊社】。↓

境内というか隣は公園になっています。↓

では、案内板を参照してみましょう。↓

元弘3年、天皇方の菊池武時は倒幕のため鎮西探題を攻撃しましたが討死しました。

菊池方の多くが犬射馬場(現在のJR博多駅あたり)で晒し首になりましたが、武時の首は馬場頭(現在の六本松)に葬られ、その場所が首塚【菊池霊社】となりました。

胴体は現在の城南区に葬られたといわれており、その場所が【菊池神社】として七隈四つ角にあります。

そしてのちの明治35年には

明治天皇は馬場頭の武時の霊に従一位を贈りました。これを記念し近隣住民が費用を出しあい「贈位之碑」を建立。昭和7年には「菊池寂阿(武時)公之墓」と「鳥居」が建てられました。

とのこと。

こちらが「贈位之碑」で↓

そして「菊池寂阿(武時)公之墓」。↓

言い伝えとは違って、武時は鎮西探題で討たれたあと犬射馬場でさらし首にされたという説もあったり

【菊池霊社】は尊王攘夷派として有名な平野国臣が中心となって建立したものだというお話もあるんだそうです。


【菊池霊社(首塚)】

福岡市中央区六本松3丁目12-7