P51【筑紫れくいえむ/米機西鉄電車銃撃を追う】

書籍『筑紫れくいえむ/米機西鉄電車銃撃を追う 坂井美彦/坂井ひろ子』を読みましたので、今回はそのお話をしたいです。

では書籍内から気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、一緒に見ていくことにしましょう。

お話は、まず著者夫婦が筑紫地区で起こった米軍グラマン機機銃掃射の事件を知ることから始まります。

調査の過程で開いた当時の新聞には、

西鉄電車に銃撃。残虐極まりない鬼畜の獣性

との文字。事件の情報があまり表に出ていない状況のもと、二人は本格的に調べ始めるのでした。

さっそくコンタクトを取り始めるものの、

当時を経験した人々の口は固く、取材は困難を極めることに

そこで、ふとしたきっかけから新聞での呼びかけを試みると、様々な声が飛び込み始めます。その中には、当時電車を運転していた人物からの連絡も。なんと、↓

当時、電車を運転していたのは学徒動員の中学生(現在の高校生)だった

のでした。

 

戦争状況に関して言えば、

初めは大都市を狙っていた空襲がだんだん無差別攻撃になっていきます

人々の生活は苛烈をきわめ、

動員学徒は昼夜二交代の労働を強いられるようになります

また西日本鉄道には中学生(現在の高校生)50人が運転要員として選抜され入社。

二日市を中心に福岡久留米間は、終戦後1ヶ月を過ぎるまで中学生(現高校生)による運転が続いた

のだそうです。連日の空襲は、明らかにこうした交通機関が狙われるようになり始めます。

そして問題の昭和20年8月8日。

筑紫駅で米機が電車へ集中的に銃撃を浴びせたる事件が発生

電車内の乗客はなんとか車外へ出たものの、

銃弾を受けあちこちに崩れ落ちる人々が連なり、そこには凄惨な光景が広がっていたと言います。

飛行機はP51、通称ムスタング

この機体(4機とも2機とも)が5~6分もの間、電車への銃撃を続けたのです。

聞くに恐ろしい生々しい証言と真に迫る筆致で描かれた取材の数々。読んでいて胸がつまる思いのする辛い惨劇が綴られており、

日常をあらためて振り返ってみる、そんなきっかけとなる書籍になりました。終わり。

(※現在、筑紫公民館前には旧筑紫駅待合所が保存されているのだとか)

(※戦争遺跡についてはこちらの記事も!↓)

【西鉄筑紫駅】

福岡県筑紫野市筑紫