論破したり論破されたり【妙典寺】

先日、福岡市博多区の中呉服町に【妙典寺】を訪ねましたので、そのお話をしたいです。

【妙典寺】があるのは福岡市博多区の明治通り沿い。御笠川からすぐそばのところで↓

竪町筋をはさんですぐ隣には

『善導寺』(↑)がある、そんな場所。

こちらが【妙典寺】山門。↓

【妙典寺】は日蓮宗のお寺で、山号は「瑞祥松林山」。それではお邪魔します。↓

境内すぐのところに案内板がありましたので

読んでみるとこんな具合。↓

永徳元年(1381)、日円が筑後柳川(柳川市)に建立したと伝えられます。のち慶長年間(1596-1615)、黒田家家臣の立花(薦野こもの)増時が当地へ移転させ、立花家の菩提寺にしました

そして↓

慶長8年(1603)に、当寺において京都妙覚寺の僧「日忠」とキリスト教の修道士らとの宗教に関する問答が行われたことで知られています。問答に勝利して日忠が建てた寺が、中央区にある勝立寺

また、【妙典寺】のHPを参照してみますと↓

永徳元年(1381)、柳川に創立。開山は本成院日円上人。慶長8年(1603)、地元有力者であった立花宗茂の家臣である薦野増時によって現在の境内地が提供され、再出発を図ることとなった

そして↓

現在の本堂と山門は天明5年(1785)に再建されたもの。戦火を逃れ、現在もその容貌を保っている

とありました。こちらが本堂で↓

参道↓

さて、気になるのが『問答』の件。いったいどういうことなのか。

 

再度、【妙典寺】HPを参照してみます。↓

日忠上人の記念法話の最中に、博多在住のキリシタン教徒が押し掛けて、宗教問答を迫った。これを「石城問答」というのだそう。日忠上人が勝利をおさめ、当時のキリシタン布教所は藩主黒田長政公に没収されることに

のちに日忠上人は

その土地を長政公より賜ることとなり、寺院を開創。「問答に勝って立てられた寺」ということから、その寺は【勝立寺】

さらに詳細な説明もあって↓

「石城問答」の「石城」とは石の城の意。それ則ち元寇防塁。つまり元寇防塁が築かれた博多のことを意味します

また問答については↓

「妙典寺履歴」という書物によると、問答は司祭の補佐役である旧沢(ふるさわ)と安都(アント)という二人の人物の問いかけに日忠上人が答える形式で進みました

とありました。境内奥へ進んでみると、向こうの方には福岡都市高速が見えています。↓

そして、こちら天神の昭和通り。そして件の【勝立寺】!!と言いたいところなんですが↓

私は未訪問。赤煉瓦文化館そばにあるんだそうです。そのお話はまたいつか。

(※のちに訪ねたお話はこちらで!↑)


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【妙典寺】

福岡市博多区中呉服町9-12