ついに西門を通る日がきたか02/02【水城06】

前回の続きです。↓

かつて、唐・新羅の来襲を防ぐために造られた防衛施設【水城跡】。
その全長約1.2キロある土塁を、東端から辿りはじめ、いよいよ西門までやってきたのであった。こんにちは。↓

【水城(跡)】には「東門」「西門」という2つの門があって、ここは西門。

一方の東門はというと、スタート地点すぐそばの【水城館】前にありました。(東門跡)↓

西門があるこちらの【水城跡】部分というのは、「JR鹿児島本線」の線路が横切るため【水城土塁断面広場】の前のところでバッサリ分断されています。

その分断っぷりは前回の記事でもご紹介しているとおり。↓

今回は、その分断されている様子を、線路を越えた反対側から見てみたいと思います。つまり西門側から見るということです。

 

土塁の博多側に沿って東の途切れた箇所へ進むと↓

前を横切る「JR鹿児島本線」があって↓

線路の向こう側には【水城断面広場】がちらっと見えています。↓

左奥には「JR水城駅」のホーム。↓

ちなみに停まっているこの電車の↓

ホームからの↓

景色はこんな風。↓

では、再び西門跡へ戻りましょう。↓

この細い道を右へ曲がると、【水城跡】の最西端そして【水城ゆめ広場】(↓)へと道は続いていくんだけれど

そのお話はまた別の機会に。(※のちに訪ねたお話はこちらで!↑)

さて前回に案内板から参照したとおり、こちら西門というのは外国からの使節団が使用する門とのことで↓

遠く博多の『鴻臚館』からやってきた使節団は、この西門を通り↓

現西鉄二日市駅前にある『客館跡』(↓)で装いを整えて

『大宰府政庁』へ向かったのだといいます。

ちなみに、その官道に沿ってちょっとだけ先へ進んでみると、向佐野通りと吉松通りの交差点があって↓

交差点を渡った右手のマンションの脇に石碑がありました。↓

石碑には『島本遺跡』と書いてあって、読んでみるとこんな具合。↓

ここでは水城西門を通り筑紫館(鴻臚館)に通じる官道(現在の国道)が見つかりました。官道の路面幅は約10m、道の両側には幅3mの側溝

そして官道はこう伸びているということ。↓

この官道跡のすぐそばには『寶満宮』が鎮座していて↓

もちろん私は訪ねてみましたので↓

そのお話は次回に!

※最後にちょっとだけ伝えたいこの想い!!

さきほどの西門のところから博多方面を見るとこんな具合で↓

官道はここを通って鴻臚館までつながっていたわけですが

その官道は、途中で春日市にある現「春日公園」を貫くようなコースだったらしいんです。

というのも、公園内に案内板があったので

試しに読んでみたら、そう書いてあったのだ。↓

こんな具合。↓

園内には官道の道路跡が見つかっています。そして、それは西門ルートの官道だと考えられています

その官道跡っていうのが「先ノ原遺跡」といって↓

公園隣の「自衛隊基地」内にあるので、もちろん見学は無理だけど

官道はここからさらに北へ向かって【鴻臚館】(↓)へと進むのであった!!

完。

続きはこちらで!(再度)↓


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【水城西門跡】

福岡県太宰府市吉松3丁目16-12