火の玉見て涙【宮添井堰】
映画や小説で、予想外の結末を迎えることをツイストというんだそうです。
『ユージュアルサスペクツ』とか『シックスセンス』とか、ナイスツイストって感じですかね。
先日、偶然石碑を見つけました。それがこちらです。
宮添井堰は「みやぞえいぜき」と読みます。
井堰というのは、稲田へ水を引き入れるために川の水をせき止める取水設備のこと。
場所は大野城、御笠川の川沿いです。
御笠の森からわりと近い。
そこにこんなお話が書かれていました。
ずっと昔、御笠川は大雨・台風がくるたびにたびたび氾濫していました。
稲田に水を引く堰もすぐに決壊。
ある時、困った村人たちが集まり村の庄屋とともに話し合う場を持ちました。
そこで誰からともなくこんな話が。「どうやら、人柱で井堰を築くと壊れないらしいぞ」
『人柱』というのは、いけにえのこと。難工事完成を祈って、生きた人を水や土に沈めて神に捧げるのです。
その発言に対して庄屋がこんなことを言いました。
「明日、横縞の襟の着物を着てきた人が人柱になるってことにしようや」
不思議な発言です。
こんなことを先に話してしまったら、誰も着てこないのではないか?
この場におらず発言を聞いてない人がかなり不利じゃないですか?
いや、不利っていうレベルの話しでもないけど。とにかく話し合いでそう決まったのでした。
さて翌日。
話は村人全員に伝わっていたので、誰一人そんな恰好をしている人はいません。
と言いたいところですが、一人当てはまる人物がいたのです。
その人物はほっかむりをし、しゃべることもないので誰だか分かりません。
ですが、なんの抵抗をすることもなく、人柱として生きたまま堰に埋められたのでした。
そこで誰かが気づきます。
「庄屋さまがいねえ!!」
そうなんです。庄屋自らが覚悟をしての発言だったのです。
人柱を捧げたことで堰は壊れることがなくなりました。
そして村は再び潤いだしたのでした。庄屋がいなくなってしばらくして、井堰周辺では火の玉が見られるようになりました。
村人たちは
「庄屋さまが見守ってくれているに違いない」
と涙を流して感謝したのです。完。
これは『ひんどの人柱と火の玉』という大野城の民話として現在まで伝えられています。
「ひんど」というのは、取水設備である「ひんとう」がなまったものと考えられているらしいです。
どうですか、みなさん。
いい話!ですねえ。え?
村人たちは、ホントは最初から庄屋さまって気づいてたんじゃね…。
いえいえ。
そんなヒドイことを考えるのは、私のようなひねくれ者だけで充分ですよ!!
【宮添井堰】
福岡県大野城市御笠川1丁目
「サイクルベースあさひ大野城店」の隣り 川沿い