上とか下とか中とか【博多萬四郎神社】

こんにちは。さて。さてさて、ところで。御笠川に架かっている↓

石堂大橋を渡って↓

昭和通りをまっすぐ博多方面へ進むと↓

歩道橋があって↓

すぐそばのところに浜口公園があって↓

その公園の向かいにある【萬四郎神社】を訪ねましたので、そのお話です。

以前、御供所町の【妙楽寺】を訪ねた時に↓

境内に伊藤小左衛門のお墓があって↓

その子どもがこちらの【萬四郎神社】に祀られているというお話を聞いていたんで、今回訪ねてみましたというわけです。↓


(→ういろうは食べる機会が少なくなくない【妙楽寺】

鳥居のそばに案内板を発見。さっそく読んでみたいと思います。↓

寛文7年(1667)、幕府の鎖国政策に反し朝鮮と密貿易をしたという罪で、博多商人である伊藤小左衛門とその一族が処刑されました。

こちら【萬四郎神社】は、父小左衛門に連座して処刑された小四郎と萬之助という幼い兄弟を祀ったと伝えられています。

そして【萬四郎神社】は↓

商売繁盛や子どもの健やかな成長にご利益があるとされています。

とのこと。また、お話には別の伝承もあるらしく↓

小左衛門に仕えたという老狐を「稲荷の神」としてこの地に祀ったとも言われています。

ということだそう。いきなりファンタジー。

で、こちら『白川稲荷大明神』。↓

そして拝殿の↓

その脇の奥には由緒書きが掛けられていましたので。

そちらも読んでみたいと思います。↓

大阪では鴻池、博多では伊藤と並び称された大富豪の伊藤小左衛門とその一家一門が、こちら【萬四郎神社】のご祭神です。

寛文7年(1667)に、国禁の貿易に関わったということで、小左衛門は長崎で処刑。また博多では家族がとらえられ斬罪に。

その時一緒に罰せられたというのが↓

5歳の三男小四郎と3歳の四男萬之助。彼らがあまりに不憫だということや、罪人とされた人々をおおぴらに祀ることもできないということで、子ども二人の名を一つにして【萬四郎神社】として祀ったのでした。

とありました。



ふと思ったのですが、兄弟の順でいえば【小之助神社】になるのでは!?と思ったりもしたけど、語感で言えば【萬四郎】のほうがいい気もします。

狛犬。↓

こちらには「東流中濱口町蔵」とある。博多山笠の東流の地区ってことみたいです。↓

そしてこっちには『伊藤家の墓』!?と書いてある。↓

神社向かいにある、こちら浜口公園の辺りが↓

どうやら伊藤小左衛門の屋敷跡らしいので、フラフラとしばらく徘徊してみたら↓

公園隅のところに「旧中浜口町」と書かれた石碑がありました。これはさきほどの「東流中濱口」と合わせて考えてみると、この辺りの町の名前が中浜口町だったということみたい。↓

その旧中浜口町を、私は歩道橋にのぼって眺める。↓

そしてくるっと反対側も眺める!!↓

でもね、気になることが一つ。【萬四郎神社】の境内にあるのは「上浜口町」の石碑。こっちは中じゃなくて上なんです。

ミステリー!!


【博多萬四郎神社神社】

福岡市博多区下呉服町1-28