ここもあそこもだいたいなにかしら【国分瓦窯跡】
前回の続きです。(→たびととタビットとれいわ姫【太宰府市文化ふれあい館】)↓
前回、私は太宰府市国分地区にある『太宰府市文化ふれあい館』を訪ねました。↓
その道すがら、ふと見かけた案内板に、『国分瓦窯跡』なる文字を見つけましたので↓
訪ねてみましたよというお話しをしたいです。こんにちは。↓
『太宰府市文化ふれあい館』を出て、右へと続くゆるやかな坂道を進んでいくと↓
通りの角のところに説明書きが立っていて↓
そこには『瓦屋根』と書いてありました。読んでみますね。↓
「文化ふれあい館」北側の屋根は古代の大きな建物で使われた屋根をイメージして作られています。屋根の形は寄棟造りといわれるものです。隅棟の先端には鬼瓦があって、建物を護る役割です。
こちらがその図。↓
からの屋根!!↓
拡大してみるとこう!!鬼瓦!!↓
さて、引き続き先へ進むとしますか。通りをそのまま真っ直ぐ進むと↓
突き当りのところに案内板が立っていて↓
ここが今回の目的地である【国分瓦窯跡】です。↓
案内板を読んでみるとこんな具合。↓
「筑前国分寺跡」の北東にある瓦窯跡。側壁・天井部に日干し煉瓦を用いた登り窯で8世紀のものとされています。ここで大宰府政庁や筑前国分寺の創建瓦が焼かれています。
また↓
現在、窯はため池や土の中。以前は少なくとも9基が確認できました。
とのこと。そばには「境界標 内務省」の石碑があって↓
さらに奥には【国分瓦窯跡】の碑と案内板が立っています。↓
こちらも近寄って読んでみたいと思います。↓
【国分瓦窯跡】は谷の斜面を利用して造られた古代の瓦を焼いた窯跡です。谷部分は江戸時代に池になったけど、周縁には9基以上の窯跡が確認されています。
図でいえばこういう具合。↓
案内板からの参照はもう少し続きます。↓
壁と天井を日干し煉瓦で積み上げたのぼり窯です。窯跡の周囲からは、老司式軒丸瓦のほか、縄目や格子模様の平瓦が見つかっています。ここで焼かれた瓦は、筑前国分寺をはじめ、太宰府政庁や観世音寺周辺の屋根に葺かれていたと考えられます。
老司式軒丸瓦!!これはひょっとして福岡市南区の「老司瓦窯跡」で焼かれた瓦のことなのか!?
ってね。知ってる名前が出てくると気分があがります。(→難易度高めな古墳かも【老司古墳】【卯内尺古墳】)
こちらは窯跡の様子と老司式軒丸瓦の拓本で↓
緑の向こうには大きなため池が見えています。あの池の下にも窯跡があったと、記述にありました。↓
そんなこといったって、あらかじめ由緒を知らないと、ただの池だしただの原っぱだし。↓
ってね。全く油断できません。
【国分瓦窯跡】
福岡県太宰府市国分4丁目17-21